×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

HPトップ>ひとり旅旅行記>現存12城ファイナル丸岡城の旅

現存12城ファイナル・丸岡城の旅(2006年8月21日)


 はじめに
 先月の犬山城にて国宝4城を全て制覇しましたが、残るは現存12城です。現存12城というのは江戸時代から残っている天守をさします。櫓まで指してしまうと明石城(坤櫓・巽櫓)や熊本城(宇土櫓)などたくさんありますが、お城の顔といえばやはり天守ですのであえて区切られているのでしょう。
 この春に最北端にある青森県の弘前城を制覇しては残るは福井県の丸岡城のみとなりました。そういうことで丸岡城に向かいます。
松山城
宇和島城 備中松山城 高知城
松江城 丸亀城 弘前城
 丸岡城へ
 丸岡城は福井県坂井市にあります。丸岡城の最寄り駅はJR丸岡駅。しかし丸岡駅から丸岡市街へのバスは本数が少なく、ほとんどの人は福井駅から乗車すると思われます。このように現存12城のうち丸岡城は、唯一鉄道が近くに走っていないお城ということになっています。もっとも1968年までは京福電鉄丸岡線が今の丸岡バスターミナルまでつないでいたそうです。そういうことで福井駅に向かうことになります。

 犬山城のときは40分の仮眠で始発の電車に乗ったのですが、今度は2時間の仮眠で始発から2本目の電車にて向かいました。舞子駅を過ぎ、明石海峡が見えてくると四国へ向かう「おれんじホープ」を初めて見ました。時間にて6時頃。こんなに乗れそうな時間と場所にあるんですが、神戸六甲アイランドを出るのが5:30。始発に乗っても当然間に合わないし、何よりも交通手段がタクシーしかない時間に出るのですから、乗船するのが非常に難しいフェリーです。京都駅を過ぎ、米原駅・敦賀駅にて乗り換え。いつものことなのですが、朝に北陸に向かう車内は常に混雑し、帰りの夜はなぜかガラガラという不思議な区間です。今秋の直流化で京阪神〜北陸のメインルートは米原経由から湖西線に変わりますから、車内もどう変化するのが楽しみです。

 10:42に福井駅に到着。福井駅は何度も降り立ったりしているのですが、ひとりで降り立つのはすごく久しぶりです。初めて来た時は工事中だった駅舎もすっかり様変わりしていました。将来の北陸新幹線が福井駅までやってくることを見込んでだと思います。改札口前には新幹線車両の模型が置かれ、そばには新幹線が福井駅までやってきたときに開けられるタイムカプセルもありました。
 改札口を出ましてはとりあえずバス停を・・・どこにあるんでしょう?。。。。駅舎は完成しても駅前はまだ工事中なので、バス停もどこにあるのかさっぱりわかりません。あれこれと探してあれだ!と道路を挟んで見つけたら後ろからバスがやってきて行ってしまいました。。。次のバスは1時間後、、、徳島旅での運のなさはまだ続いているのでしょうか。
 仕方がないので昼食を先に済ませることにし、福井駅に戻ります。しかし、飲食店街も知れたものです。。。福井はおろしそばが有名ですので、これを食べないと意味がありません。そうして駅内でみつけたお店に入りまして、おろしそばにカツ丼がセットになったものを頼みました。味はですね、おろしそばは辛かったです、カツも薄く、、、まあ800円なんでこんなもんかなと。。。
ちょっと疑問あり?
 バスに揺られて約30分後に本丸岡に到着しました。
 丸岡城にて
 本丸岡のバス停に着いたのですが丸岡城は見当たらない。。。建物がさえぎっているとしても案内板くらいあってもよさそうなのにありません。持参した歴史街道ハンドブックの地図を見てようやっと方角がわかったのですが、ちょっと不親切な感じがしました。10分ほど歩いて丸岡城のふもとに到着して早速登ります。
丸岡城入り口 丸岡城天守
 丸岡城は織田信長時代の1576年に建造された日本最古の天守です。その後は平和な時代が続いたので戦乱に巻き込まれることはなく、明治維新までこの地域を治めていた有馬氏の居城となりました。明治時代の廃城令によって城は取り壊されていきましたが、丸岡城は天守のみが残され昭和9年に国宝に指定されたものの、昭和23年の福井地震で倒壊。昭和25年に重要文化財の指定を受けて昭和30年に修復再建されました。
 この天守の大きな特徴としては、屋根の瓦が全て石瓦を利用しているところです。天守に登ってみますと現存天守らしく、階段は急になっています。2層3階のミニ天守なのですぐに最上階に到達します。到達しましては現存12城を完全制覇ということになりました。感慨深くは・・・特になくあっけないなあと思いました。最上階到達同時に通り雨が降り出しましたので、傘を持っていなかった僕はしばらくは動けませんでした。その代わりにじっくりと景色を見る時間がありましたので、束の間の城主気分を味わいました笑。
 なお、丸岡の町は「一筆啓上」で知られています。「日本一短い母への手紙」ですね。徳川家康の第一功臣であった本多重次が陣中から妻にあてた手紙「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥せ」から町おこしとなったそうです。毎年日本一短い手紙のコンテストがありまして、駐車場から天守にいたる坂道に優秀作などが展示されています。中には涙を誘うものがありましたので、なかなか良い手紙だと思います。
思わず笑った手紙 思わず涙した手紙
 駐車場側の登り口、つまり登った時とは反対のルートで降りましては歴史民族資料館を見学し、売店に入るとレストランの大型テレビに釘付けになっている人たちがいました。放映していたのは高校野球の決勝戦(早稲田実業高校vs駒大苫小牧高校)です。今年の高校野球は僕でも疑問に思いたいくらい異様に盛り上がっていまして、決勝戦は再試合になっていました。その再試合日が今日だったんです。昨日は家で見ていたのですが、今日は丸岡旅をできるのが今日しかないのでやむをえず観戦を断念したわけです。そういうわけでラッキーだと思うべきなんですが、やはりどうもおかしいなあと思いつつすぐに後にしました笑。後日、兵庫国体の高校野球が高砂市で開かれたのですが、両校が再登場するということで初戦から徹夜行列する人たちが続出するほどの人気競技となり、ピークは両校が再び激突した決勝戦まで連日続きました。しかも決勝戦では珍しいテレビ放映まで。しかし、冷静に考えると徹夜行列までして見たい心理がよくわからないんですけど。。。
 まだ14時なのですが丸岡で観光できるところはこれくらいだと思いますので福井まで戻りました。
 改めて福井
 福井に戻りましては福井市立郷土歴史博物館に向かいました。歩いて向かったのですが、建物が密集したところにあるので途中でわからなくなったほどです。案内標識は合っても途中から「?」な感じが出てきましては見失ったわけです。
 やっとたどりついた博物館では、常設展示のテーマが「ふくいのあゆみ」「ふくいの古墳」「東大寺荘園 道守荘」「城下町の人びととくらし」「松平松平春嶽をめぐる人々」「近代都市の発展と戦・震災」の6テーマに分かれています。平成16年に移転新築されたばかりのきれいな博物館で、新築らしくハイテクを活用した内容でした。特に九十九橋は端の半分が石橋ともう半分が木橋という珍しい橋があるんだと知りましたので興味深かったです。ただ、館内では飲み物が販売されていたいためにのどを潤すことができないのがマイナスだと思います。
 時間が迫ってきましたので福井駅に戻ります。福井県庁経由ということで、福井城経由になりました。福井城は1601年に4層5階の大きな天守が築城されましたが、1669年の大火で焼失し以後は再建されることはないまま、福井県庁となったそうです。「福井」という地名は、この城内にあった「福の井」からちなんだとされています。現在の福井城は石垣しか残っていませんが、福井城を囲んでいる堀はそのまま残されていますのでしのぶことはできるでしょう。
地名の由来となった「福の井」 きれいに整備されている石垣群 堀もきれいに残っています
 福井のお土産は「羽二重餅」これを手土産に明石へ帰りました。
 終わりに
 こうして現存12城は完全制覇しました。よく国宝4城と比べられるのですが、いずれも将来の国宝候補だと思います。僕としては松山城、松江城、高知城が次の国宝になると思いますが、丸岡城も最古ということで選ばれても良いんじゃないかなと思います。江戸時代と比べたらやっぱり城下町がなくなって田舎の城という感じが出ていましたが、後ろの山と前の田園とかなり落ち着ける風景でした。

 作成時点でJR西日本の新快速が敦賀に延伸されたことにより、次に福井を訪れるのはそう遠い日ではないと思います。そのときはまたのんびりと巡ろうかと思います。

(06年11月1日作成)







Copyright(C) mottakun、2002→、HPトップ