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風光と海峡の道(距離:約6km) | ||
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「風光と海峡の道」はJR朝霧駅から始まる。 このルートはアップダウンがかなり激しく、交通量も非常に多い上、開発によりところどころ工事中の箇所も多く見られた。 実際に歩かれる方は、歩きやすい服装で歩かれるのが望ましい。 また、このルートでは案内板や説明板は一切無い。 改札口を出るとロータリーがある。西側にはバス停があるのでそちらに歩を進める。市営の駐輪場そばに線路に面した道がある。その道を西に向かって歩を進めていく。やがてT字交差点に達するが、そこを右へつまり、上り坂になっている道を進む。この辺りから見る明石海峡は素晴らしい。 上りきったところから砂利道の下り坂となり、左側に台地状になった場所が見える。これが東山遺跡である。なお旗山はこのあたりだと考えられる。 |
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「東山遺跡」(ひがしやまいせき)
昭和38〜42年に宅地造成中に発見された。 弥生式土器の破片などが見つかり、古墳時代の遺物が発見された。 |
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再び朝霧駅まで戻る。次は北へ歩を進める。ロータリーのすぐに信号があるが、東側に下り坂になっている道に歩を進める。 生協があり、小さな川がある。その上流側の台地一帯が狩口矢場である。 |
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「狩口矢場」(かりぐちやば)
この辺りは明石藩の演習場が設けられ、藩主もここで狩りをしたと言われている。 ときの明石藩主松平直明はここで、小銃や大砲の射的場にしていた。 |
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再び最初の信号まで戻り、今度はそのまま北へ向けて、つまり上り坂を上っていく。 やがて、交通量の多い交差点へ達するが、そこを左へ、つまり西へ歩を進める。 上り坂の頂上で、信号がないT字交差点に達する。そこで右へ、つまり北へ歩を進める。 左に尊神神社を見てすぐ右側に団地に沿って道路が続いている。緑が見えるが、それが朝霧公園である。 |
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「朝霧公園」(あさぎりこうえん)
この辺りは明舞団地(めいまいだんち)と呼ばれる団地群である。1967年から兵庫県によって開発され、一部は神戸市にまたがっている。 明舞団地の南端に位置するこの公園は、震災の教訓から災害時の避難食などがこの公園に備えられている。 明石海浜公園と合わせて45000食が備蓄されている。 |
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公園入り口から北へ向かう道路があるが、しばらく歩いていくと団地のすきまから交通量の多い道路が見える。 その道路まで進み、北へ歩を進める。 明舞センターを過ぎ、ガソリンスタンドの北隣にあるのが松が丘公園である。 |
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「松が丘公園」(まつがおかこうえん)
明舞団地造成の前には、この一帯は緑豊かな台地であった。 造成の際に緑を残して造ったのが松が丘公園である。 この公園の北西端に斜面には松ヶ丘古墳がある。 |
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「松が丘古墳」(まつがおかこふん)
開発されるまでは、この一帯には多聞群集墳と呼ばれる古墳がたくさんあった地域であった。 5〜7世紀に作られ、全部で80〜100基はあったとされている。 明舞団地の開発によってさまざまな古墳が破壊されたが、1基だけ移築して残された。 |
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松が丘古墳から西に下って伸びている道路に歩を進める。 松が丘小学校を過ぎ、松が丘保育所T字交差点に達する。それを右に曲がり、すぐ道路から分かれて左に下って伸びている道に歩を進める。 やがて交通量の多い道路(この道路を目指す)を上にトンネルを過ぎ、狭い道路になるが、交差点を左、またすぐ左へ歩を進める。 再び、さきほどのトンネル上にあった道路が見え、そばに坂道があるので上っていく。そしてまた交通量の多い道路にそって上っていく。 上った先には大蔵谷IC前の交差点であるが、上ってきた道路のすぐ左隣に伸びている道路に歩を進める。 「日向前」バス停の少し戻ったところに焼き鳥店の看板が3つほど連なって立っている下に祠がある。それが松平信之供養塔である。 |
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「松平信之供養塔」(まつだいらのぶゆきくようとう)
松平信之は明石藩七代藩主であり、1659年から21年間藩主を務めた。 治世時代は、伊川谷掘割や新田開発を奨励し、治績をあげた。 信之の死を聞いた百姓が祠を造って供養した。 "漆山の日向さん(うるしやまのひゅうがさん)"として親しまれている。 |
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道路は南に向かってその先は交差点のある三叉路となっているが、優先道路である方、つまり先にコンビニがある道路を進む。 やがて長い下り坂になる。 下り坂の中腹あたりに右手にマンションがある。そのマンションを過ぎてすぐに交差点がある。 注意深くみると、神社の屋根らしき建物が見える。それが明石聖天神社である。 |
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「明石聖天神社」(あかししょうてんじんじゃ)
1895年日清戦争後の下関条約の全権であった、李鴻章が調印の為に来日した際、暴漢に襲われたが、その治療に当たった中川軍医にお礼に贈ったのがここに奉られている大聖歓喜天である。 明石聖天は、いずれの宗派や宗教団体も属していない。 |
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この神社からやや西側には3本の無線中継塔が見える。この下には徳川道がある。行き方については複雑なので省略させていただく。 徳川道は神戸港の開港の際に、西国街道には多くの外国人がやってきたので、参勤交代の際に大名との衝突を避けるために設けられた街道である。徳川道を南に下っていくと大蔵谷宿に達し、西国街道につながる。 再び下っていた道路に戻り、そのままさらに下る。朝霧小学校前のバス停から朝霧駅または明石駅行きのバスがあるので、帰りの際にはそれを利用してもよい。 下った先にはJRの線路に達する、その線路沿いにある道路を西に行くと山陽電車大蔵谷駅に、東に行くと朝霧駅に着き、このルートの散策は終わる。 なお、上にある陸橋を渡った先には大蔵海岸があり、ここから見る明石海峡の眺めは素晴らしい。 朝霧駅から大蔵海岸へ伸びる歩道橋そばには、1999年に海洋冒険家の堀江健一さんが、サンフランシスコ→明石へアルミ製ビール樽のリサイクルヨットで冒険した「MALT'Sマーメイド2号」が屋外陳列されている。 (平成15年2月9日) |
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説明文の参考文献: 明石文化財調査団 編『新明石の史跡』あかし芸術文化センター、1997年 『明石市案内図』明石市市長広報公聴課、1995年 財団法人兵庫県学校厚生会 編『明石ゆかりの人びと』神戸新聞総合出版センター、1999年 |