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関門海峡冬の旅(2005年2月22日〜24日)


 はじめに
今までに九州へ、山口や津和野へ行く為にへと何度も関門海峡を通り抜けながら、一度も関門海峡をはさむ観光地である下関や門司を観光したことがありませんでした。しかもフェリーにて格安で訪れることができるのに不思議なものです。当然ながら関門海峡への次の旅行優先順位は高いものでした。

 思い立っての松山旅から5ヶ月。再び連休となりましたので、あらかじめ暖めていたプランを元に関門海峡に向かうことになります。

 移動手段はもちろんフェリーを利用し、行きは大阪南港より名門大洋フェリーの2便、帰りは阪九フェリーの泉大津航路1便にしました。どちらもバリアフリー対応の新造船ですから、見比べると言う意味もありました。
 休日は雨男
 仕事が日曜日は必ず休みであるとは限らない現在の僕は、平日であっても休みであることが多いです。平日が休みである最大のメリットは行楽地では人が少なくてのんびりできることにあります。普段の休日は晴れていれば海岸に出て太陽の光を浴びてリラックスするのが多くなっていました。しかし、なぜか年が明けてから休日は雨になることが多くなっていました。そして休みの日を挟んだ前後2日は晴れと言うことも多いわけです。雨でなくても休みの日は体調が悪かったりします。そのため、仕事の日に限ってあっけらかんと輝いている太陽を恨めしく思うものでした。なぜここまで恨むのかというと、自称晴れ男だからです笑。旅先で雨に遭ったことはほとんどありませんし、降ったとしても雪であったりしてそれは歓迎ものですからね。

 出発日前の最後の休日。神戸のハーバーランドにあるJTBにて乗船券を購入しました。言うまでも無くこの日も雨でした。。。
 週間天気予報によると、出発日は晴れであっても関門海峡を巡っている日は雨との事。半ば凹みましたね笑。
 出発は大阪南港から
 さて、当日。定時に仕事を済ませた僕は、荷造りしてちょっと休憩した後、19時に大阪南港に到着するように家を出ました。天気予報は相変わらずよくないみたいでした。この時点での天気予報は午前中は雨であって、午後から持ち直すというものです。

 20時に大阪南港を出航。よく考えたら大阪南港から入港は何度もありますが、出港はほとんどないんですね。やはり兵庫県民は六甲アイランドかハーバーランドの中突堤から出発するのが普通ですよね笑。

 今回のフェリーは「フェリーふくおか2」でした。津和野旅でも利用しましたので2回目の乗船と言うことになります。本当は「フェリーきょうと2」に乗船したかったですよね。座席は新案キャビンの2等洋室(ツーリスト)です。前回の教訓からあまりにもダイヤが良いこの便に乗船するときは2等寝台以上を利用しようと決めていました。でもこの教訓は青春18きっぷシーズンなどで混雑しそうな日に生かそうと思っていましたが、今回は普通の平日であるにもかかわらず大学生の春期休暇も重なって非常に混雑しており、2等以外はすべて満席でした。事前に予約しておいて良かったです。指定された座席は下段ですが、ドア横にあるため向かいが壁であってある意味個室感覚で利用できる席でした。毛布と枕があるのは普通ですが、ドリンクホルダーにタオル架けがあるのが驚きました。カーテンはロールカーテンになりましたが、とめる金具がないので一番下まで下ろしても気づけば上がっていたというのが欠点ですね。

 2回目の乗船ですから、どんな雰囲気になるのかということは予想通りでして大型テレビのあるエントランスホールや展望ストリートは終日混雑していました。また、レストランもなかなか席が空かず、入場閉鎖も起きたくらいでやっと食事にありつけたのは21時になってからです。今夜のメニューはハンバーグステーキにライスと赤だしをつけて930円でフェリーにしては安いです。  食後に入浴をしましたが、やはり狭くてあまり長居をしたいとは思わないですね。風呂上りは船内を軽く散歩したり、エントランスホールのテレビを後ろから見たりしつつ、夜が深けたら展望ストリートでのんびりしたりして頃合いを見て寝ることにしました。

 明けて23日。天気は奇跡的に快晴でした。しかもそれだけではなくて、2月とは思えないほどの暖かい1日になり、関西では春一番が吹いたそうです。やっぱり晴れ男ですね笑。

ハンバーグ、ライス、赤だしで930円也 今日は良い日になりそうだ

 3列車の見納め
 フェリーふくおか2は定刻どおりに新門司港に着岸しました。前回の教訓から送迎バスは少なくて混雑するだろうと思い、早めに下船口に向かおうと思いましたが、着岸寸前まで外にいたため、ちょっと出遅れた感がありました。しかし、いざ送迎バス乗り場まで出てみるとたくさんのバスが待機していました。普通の路線バスタイプもあれば観光バスタイプも有りました。九州に上陸してまずすることは3月1日のダイヤ改正で引退する寝台特急「さくら」の見納めです。(寝台特急「さくら」は昨年11月に乗車しましたので、その時の旅行記もあわせてご覧ください)長年の憧れだった列車がなくなるというのはやっぱり寂しいものですね。そのさ「さくら」が九州に上陸する最初の駅が門司駅で8:46です。送迎バスも門司駅に8:20くらいに到着するということになっていますのでちょうど良い時間です。ただ、遅れることもありうるのでできるだけ早く出発して欲しいですね。そういうわけで次に出発するバスなのに誰も乗り込まなかったのでお先にって感じで乗り込みました。観光バスタイプで快適ですし、しかも一番前です笑。窓側は先客がいましたので通路側になりましたが、 ひとり旅って人数を気にする必要がありませんから気楽なものですね。何とか間に合う時間時出発し、ほどなく通路を挟んだ隣の2人組の女性から写真を撮って下さいと頼まれました。観光地ではよく頼まれるのですが、バスの中で撮って下さいというのは初めてです。まあ、海外旅行帰りらしいので最後までデジカメやフィルムを使ってしまおうということでしょうね。やがて門司駅に到着し、下車したのですが降りた人はわずか3人でした。他の乗客20人以上は小倉駅に向かいました。

 下関駅までのきっぷを購入し、ホームに降り立ちました。「さくら」が来るまでちょっと待つわけですが、他にもカメラマンがちょこちょこと。門司駅でもこうですから、この先「さくら」が停車する駅には何人もいるんでしょうね。「さくら」がもうすぐ到着する時間になったところ、国鉄カラーの特急がやってきて同じホームの隣に停車しました。それは「いそかぜ」でした。始発駅の小倉駅に回送される途中のようで、「さくら」と同じく廃止になるのは知っていましたが、見ることはないだろうと思ってあきらめていましたのでラッキーです。停車時間がたっぷりありましたので写真も余裕で撮れました。やがて「さくら・はやぶさ」が入線してきましたが、一番の重要な画であるヘッドマークが掲げられておらず凹みました。仕方がないので、下関行きのホームへ移動し、交代の機関車が近づいているのを見ているとヘッドマークが掲げられていました。時はすでに遅しですからそのヘッドマークは脳裏に焼き付けておきました。

 普通電車に乗って下関駅へ。トンネルに入ってから車内が何となく煙くさいんですよね。「いそかぜ」が残していった匂いでしょうかね。下関駅に到着しまして、「あさかぜ」を迎え撃ちます。その前に。。。津和野旅行で食べ損ねた「ふく天うどん」を食べました。400円でふぐを食べられるのですから安いですね。食べている最中に、「いそかぜ」が入線してきまして多くの惜別乗車客を乗せて山陰地方へ旅立ちました。そして「あさかぜ」が入線してきました。なぜか門司駅よりもカメラマンが多く、ホームの最先端にもずらーっと並んでいました。「さくら」よりも「あさかぜ」の方が人気があるんかと軽い嫉妬を覚えましたね笑。先ほどの「さくら・はやぶさ」もそうでしたが、「あさかぜ」もたくさんの乗客を乗せて下関駅に到着しました。到着と同時に先頭の機関車に大勢の人が集まり、次々と写真に納めていました。それでもいつも通りの回送ですぐに下関駅を去っていきました。

 印象に残ったことは涙をぬぐっている女性がいたことですね。「あさかぜ」にまつわる思い出とかがあったのかもしれません。新幹線がまだ無かった世代の方々には夜行列車というものは通勤列車と違って、地方から一念発起して上京するとか色んな思いが詰まっていることでしょうから、心のよりどころが失った感じがするのでしょうか。たとえ乗らなくても駅に行けば故郷へ運ぶ列車が見られることだけでも安心できるようなそんな感じだと思います。
いそかぜ あさかぜ さくら ふく天うどん

 下関
 3列車を見届けた後、改札口を出まして名物駅弁である「ふくめし」を購入しました。こんなに天気が良いのですから、どこかの空き地で弁当を広げて食べると気持ち良いでしょう。今回も地図は特に用意しておらず、海沿いで南下していくと目的の赤間神宮と人道トンネルがあるという知識のみです。小倉駅に阪九フェリーの送迎バスが来る時間を考えると15:00までに門司港駅に到着しなければならないので、あまりのんびりすることができないからですね。  とりあえず関門橋に向けて歩きます。途中で下関国際フェリーターミナルやレトロな建物を通過しました。
旧秋田商会ビル(右側)
(重要文化財)
マンホールも「ふく」
旧下関英国領事館
(重要文化財)
ふくの袋売りの像
唐戸市場 ザビエル上陸の碑
 唐戸市場まで来たところ、関門海峡を北からやってくるフェリーに気がつきました。それは新日本海フェリーの「すずらん」でした。相生へのドック入りのようですね。これまたラッキーな出来事だと思ったと同時に、こんなに間近に見えるということで関門海峡がいかに狭いと言うことがわかりました。
関門海峡大橋をくぐる『すずらん』
 赤間神宮は唐戸市場から歩いて10分くらいのところにあります。変わった形の山門が特徴ですね。赤間神宮は源平合戦に巻き込まれた安徳天皇を奉っています。そして、平家方の武将たちのお墓も裏にあり、平家物語を語った耳なし芳一像もありましたが、いずれも建物の裏に隠れるようにひっそりありましたので、盛者の末路を表しているような気がしました。
赤間神宮 七盛塚 耳なし芳一像
 隣にある日清戦争の下関条約にまつわる日清講和記念館を見たあと、関門橋へ向かって歩いていきました。その間に海峡を行き交う大型貨物船が何隻もあり、そして近くに見えるのですからダイナミックな光景が繰り広げられていました。悔しいですが、明石海峡よりもずっと見ていて飽きないと思います。海峡の心地よい風を感じながら橋を潜り抜けて人道トンネル入り口に到着しました。その前に人道トンネル入り口前の公園で昼食の「ふくめし」を食べることにしました。なるほどから揚げに・・・・・とふぐ尽くしですね。小さい駅弁ながらボリュームたっぷりでした。目の前に関門海峡、、、というよりも壇ノ浦ですね。源平合戦最期の地となった壇ノ浦に吹く風は心地よかったです。
豪華な「ふくめし」 壇ノ浦の合戦の碑
 関門トンネルを越えて
 いよいよ人道トンネルを歩きます。歩いて渡れる海峡はそう多くないですから、関門海峡に訪れたときは絶対に歩きたかったんですよね。人は無料、自転車や原付バイクは20円との事。行こうと思えばただで海峡を渡れるのですから、ある意味うらやましいですよね笑。地上からトンネルまでエレベーターが運びます。下関側のエレベーターは深さが55.4mでこれは12階に相当するみたいです。30秒でトンネルに到着しました。ここから門司側出口まで13分ほどとのこと。意外と近いですね。時間が時間ですからあまり人はいませんし、多くは観光客のようでした。自転車も通り過ぎていったのですが、朝夕の通勤ラッシュ時にはどんな光景が広がっているのだろうかと想像してしまいました。

 中間地点に到着しました。県境の標識があり、おそらく県境に関しては日本一有名な写真撮影のスポットですね笑。

 2つの入り口と出口は一直線で繋がっている上、塗装はずっと同じですから果てしなく感じられます。まあ国道と同じですからあまりカラフルにする必要はないと思いますが、もうちょっと観光客向けに趣向を凝らして欲しかったかなと思います。

 門司側の深さはは60.1mでこれは14階に相当するようです。それでもエレベーターの所要時間は30秒で下関と変わらないんですけどね。外に出ると下関側と違って道路の道端に突然人道トンネル入り口が造られたみたいな狭いトンネル入り口が建っていました。。。

下関側出入り口 中間点の県境 門司側出入り口

 門司の散策
 人道トンネル出口から中心地の門司港駅までバスで移動しようと思っていたのですが、バスの便はばかりで次は2時間後笑。下関から見て門司側で栄えている場所まで結構遠そうに感じたので間に合うかちょっと心配でした。トンネルを出てすぐそばにある和布刈(めかり)神社を参拝しました。この神社は九州最北端の神社であり、壇ノ浦の合戦で決戦前夜に平家側の必勝を願ったの出たがこの神社ということです。
 海沿いに30分ほど歩いて門司港レトロの中心地に到着しました。レトロな建物らしく煉瓦造りの建物が多かったです。
旧門司税関
・・・昭和初期までの税関庁でした。
旧大阪商船
・・・大阪商船は現在の商船三井です。
門司郵船ビル
・・・コンビニのファミリーマートが入店していますので違和感がありました。
旧門司三井倶楽部(重要文化財)
・・・アインシュタインが宿泊した部屋が公開されています。また、林芙美子のコーナーも。
門司港駅(重要文化財)
・・・構内もここだけ大正時代が止まったような雰囲気でした。

 他にも海峡ドラマシップや九州鉄道記念館など見学したいものがたくさんあったのですが、15:50までに送迎バスの出る小倉駅まで行かないといけませんので、15:00発の普通電車で門司港駅を出ることにします。見尽くさずに残しておいたほうがまた来る機会を残せるのですからいいでしょう笑。  

 阪九フェリーにて
 門司港駅から15分後、小倉駅に到着しました。門司駅でも送迎バスは出ているのですが、もしも送迎バスが満席で座れなかったら嫌ですし、門司駅周辺よりも小倉駅周辺のほうが華やかなので待つには苦にならないんですよね。よく考えれば門司駅から海を越えて見える陸地は山口県なんですよね。ますます関門海峡は狭くて長いんだと実感させられました。

 小倉駅の改札口を出るのは2回目です。前回と違っていたのは新幹線改札口が自動改札機の導入準備中だったことです。これで山陽新幹線も自動改札化にされるんだなあと思いました。駅周辺は相変わらずの賑わいでした。自由通路が広めであるのがいいですね。

 送迎バスの時間が近づいてきまして、バス停にはまあまあの人数が集まってきました。それでも多くはありませんので座れるだろうと安心しました。ところが、路線バスが停車するとたくさん乗っていき、結局は6人しか乗車しませんでした。一度、阪九フェリーのバス乗り場にいて名門大洋フェリーのバス乗り場が違うと気づいて移動した人もいました。やっぱり大阪の中心部から離れた泉大津港に5:30入港と言うダイヤが厳しいんでしょうね。小倉駅を出発した送迎バスは、門司駅に停車しましたが誰も乗らず、6人のまま新門司港に到着しました。阪九フェリーの新門司港ターミナルは特徴のある形をしていますので、ターミナル周辺の田舎な風景にミスマッチしすぎです。。。

 乗船手続きを終えて待合室へ。宗教の団体さんが何人かいた他は正直少なすぎる感じがしました。今回利用したのは新造船「つくし」の2等です。阪九フェリーの利用は3度目になるのですが、閑散期にあたることもあるので寝台席はもったいないと思って利用したことがないんですね。出港間近になると乗用車客も入ってきまして、1部屋に6人程度になり、6部屋開放されていましたから単純計算で2等客は36人ということになります。2等定員は303名ですから10分の1しか乗船していないということになりますね。とりあえず分かったことは、乗用車客が多いということですね。まあ、泉大津からの行き先を考えたら乗用車を利用する人が多いからだとは思いますが。。。

 積み込みに時間がかかったらしく、出港に10分程度遅れました。急いでいるらしくて車やトラックを全部詰め込んで扉を閉めた後、5分と経たずに出港していきました。神戸航路の「フェリーせっつ」やオーシャン東九フェリーの「おーしゃんのーす」、泉大津航路第2便の「ニューながと」を見届けた後、寒くなり始めた外から船内に戻りました。それにしても「フェリーせっつ」・・・今までに2回乗船し、昨年の松山旅で六甲アイランドに寄港した際など3回くらい見まして、合わせて5回以上会った事になるのですが、同じ航路の「フェリーすおう」には1度も見たことがありません。ですから、今回も「フェリーせっつ」だとわかると苦笑したのには言うまでもないですね笑。

 この「つくし」は2003年に就航した新造船です。まだ2年しか経っていないわけですからなかなかきれいでした。その他、バリアフリー対応船ということで、点字ブロックや点字テープ、さらには触地図のように触って分かる船内案内板もありました。また、考えすぎかもしれませんが、誰にでもわかるようなユニバーサルデザインを考慮してか文字ではなくて絵でトイレとかレストランの位置案内をしていました。でも絵だけですから返って分かりにくいような気がするんですが。。。それでもエントランスホールを中心に公室が集まっており、エレベーターも航海中は利用はできますから不便はないように思います。

 一通り船内散策をしたあと、のんびりとすごしました。何せ乗船客が少ないですから、プロムナードに誰かが座っていたのは見たことがありません。その代わりに、トラックドライバーがエントランスホールのテレビに終日いましたから異様な雰囲気でした。新造船の「つくし」は確かに足は早くなったのですが、内装は一般客向けだと思うのでなおさら合わないなあと思いました。家では絶対にありえない時間帯の18時半に夕食、20時に入浴とを済ませ、日が変わる頃に就寝しました。4:30に起されますのでそれよりもちょっと早めに起きたいので4時に起きるように目覚ましをセットしました。

新造船の「つくし」 ちょっと似合わないターミナル 麻婆豆腐諸々で800円!!

 突撃訪問へ
 ブルル・・・と携帯の目覚ましが震えて4時に起床しました。外を見るとちょうと明石海峡大橋を潜ったところです。当然ながら外はまだ真っ暗でした。朝食代わりのカップラーメンをすすり、顔を洗って下船の荷造りをした後、展望ロビーの椅子に座って缶コーヒーを飲みつつ泉大津港に入港するのを待っていました。ほぼ定刻で泉大津港に入港しました。船上からこんなに朝早くからトレーラーが慌しく動き回っているのを見て、港の朝は本当に早いんだなとつくづく思いました。

 送迎バスにて南海泉大津駅に向かいます。なぜかひとり減っていましたが、恐らくはオーシャン東九フェリーのもぐり客だったのでしょう。そういうわけで徒歩客は5人でした。そのうち2人はご老公で大阪方面へ、もう一人は就職活動らしく和歌山方面へ、そしてもうひとりはスーツケースを抱えて関空に向かうようです。さてと僕は。。。悩んだ挙句に関空に向かいました。泉大津駅を6時になってすぐの電車に乗ったのですが、こんな朝早くから制服姿の学生さんがいましてクラブ活動かな?と思いましたが。。。なんばからやってきた車両にはスキー帰りの人もいまして爆睡していました。きっとバスで帰ってきたことでしょうけど、その人を見ると羨ましかったりします。

 泉佐野駅で乗り換えた後、そして関空に到着しました。なぜか先ほどの学生さんも関空にいまして、人数も多くなっていましたからなおさら意味がわからなくなりました。そのまま飛行機に乗ることはありえないでしょうしね。でも、荷物を先に送って学校単位で旅行に行くということも考えられますが、あまりにも身軽すぎるなあと思いました。何よりも7時にもならないうちに集合させられるのはかわいそうだなあと思いましたね。

 国内線のチェックインカウンターがあるターミナルの2階でしばらく時を過ごしていました。ぼちぼちと飛行機が各地に向かって飛び立つ時間ですね。忙しいなあと思ったら突然静かになりました。出発ラッシュが終わったようです。東京行きはとっくに終わり、次の便は昼になっているようで何となくもったいないなあと思いました。

 やがて時間は7時になり店舗がたくさんある3階に向かいました。そこにあるお店で大学時代の先輩が働いているということで、姉夫婦の見送りで昨年12月に2回訪れたにもかかわらず居ませんでしたので、今度こそという感じで向かいました。事前連絡なしの突撃訪問ということですね笑。そろりそろりとお店に近づき、先輩がいることを確認しました。でも、開店したばかりで忙しいでしょうから一旦退きました。2階に戻ってまた椅子に座ってのんびりした後、この後はやっぱり帰ろうと決めた後、再びお店へ。そしていざ突入!!「いらっしゃいま・・おお!!」、大きな声を出してしまって他のお客さんも驚かせてしまいました。。。とりあえず4年ぶりの再会でした。それでも長居は迷惑ですから軽く近状報告などをして5分後には後にしました。

 早朝の関空は海外旅行から帰ってきた人などが多いようで、また、12月に来た時よりも静かな感じがしました。早朝ですから人が少なくて当たり前なのですが、何となく気持ちいいような感じがしました。

 帰り方は三ノ宮駅までリムジンバスを利用することにしました。JR利用で帰っても良いのですが、乗換えが面倒なのと体調が少し悪いですのでバスということになりました。旅行中は特に体調管理を厳格にしている僕としては初めての失敗です。8時15分のリムジンバスに乗って三ノ宮駅へ。発車寸前に乗車したにもかかわらず最前列に座れました。最近マイブームの(?、笑)阪神高速湾岸線を走り南港フェリーターミナルでのフェリー群を見た後、定刻よりちょっと早めに三ノ宮駅前に到着しました。

高石周辺の工業地帯
(8:37)
南港フェリーターミナル
(8:47)
天保山大橋
(8:51)

 終わりに
 今回の旅行はどちらかと言うと散策ばかりで、資料館などには旧門司三井倶楽部以外は入りませんでした。時間が限られたこともあるのですが、レトロな雰囲気を味わうとしか考えていませんでしたので特に見逃したような感じはありません。それだけ散策するには最適な観光地であると言えると思います。また、念願の関門海峡を歩いて渡ることが出来たのが良かったです。今まで色んな県境を通過してきましたが、それは電車で移動中であったりとあまり感慨深く感じられませんでした。でも、関門海峡ではトンネルでつながった県境ということでそれなりに面白さはあります。たかが県境ですが、関門海峡にきたら自然と足を向けると思います。

 2月末で引退した「いそかぜ」「あさかぜ」「さくら」も見納めという感じで今回の旅行に含めました。いずれの列車も多くの人が駆けつけ、それだけ愛された列車なのだなあと思いました。伝統から伝説へ。僕が長年憧れだった「さくら」は今後も僕の心の中で走り続けることでしょう。

 移動手段として利用したフェリーに関しては、名門大洋フェリーはダイヤとアクセスの良さから相変わらずの人気でした。大学生の春休みにもあたっているからかもしれませんが、学生団体の利用も多く、関門海峡へのツアーを合わせると個人旅行客は1割くらいにしかならないのではと思います。肩身が狭くなるのはやむ得ないことですが、これらの団体客が各公室にある椅子という椅子を長時間利用していて、他の利用客になかなか席を譲らないのもどうかと思いました。また、消灯後の2等室で部屋を団体で貸しきっているからといって、ドアを半開きで遅くまで騒いでいるのも呆れました。いずれにしろ、禁煙コーナーで煙草を吸ったりするマナーが悪い客などがいたのが残念ですね。一方、阪九フェリーの泉大津航路はアクセスとダイヤの悪さから徒歩客はほとんどいませんでした。当然、船内はガラガラで通路を歩いても誰かとすれ違うことはほとんどないくらいでした。まだ新造船と言うこともあって快適なのですが、意外な欠点が洗面所やトイレが少ないことです。今のシーズンであれば順番待ちの必要がありませんが、帰省シーズンになるとかなり少なすぎると思います。それでも瀬戸内航路では一番快適なフェリーに入りますので、その利用者の少なさがもったいなく感じられました。

 最後に、実は出発前から咳き込んでいました。原因がわかりませんが、就寝時に乾燥しすぎたか何かで喉を痛めたのだと思います。それが出発当日まで続き、名門大洋フェリーの中では夜になるとずっと咳き込んでいました。日中は不思議と咳が収まったので快適に散策することができたのですが、夜になると再び咳き込みました。泉大津港に到着する朝、起きてみると突然の腹痛に襲われ、その日の行動はすべて取りやめになりました。旅行中は快適に過ごすために健康管理を厳しくしている僕としては初めての失敗と言うことになります。この失敗を今後も忘れないようにしたいと思います。







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