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四国九州横断旅行(2003年8月26日〜29日)


 はじめに
 恒例の夏旅。今回は最後の最後までスケジュール編成に迷いました。今回で思いついた基本プランは3つほど。1つ目はしまなみ海道を含むプラン。2つ目は北陸へ富山を中心としたプラン。3つ目は南九州を中心としたプランです。最終的には南九州プランに決まりましたが、回数を重ねるごとにハードになっていくスケジュールのせいか、四国まで含んでしまいました笑。また、四国〜九州の横断も2航路で迷いましたが、プランもほぼ決まりかけていた頃、宇和島運輸にとある質問をしたら横柄な返事が返ってきたので乗船拒否が決定となり、いちからやり直しとなってしまいました笑。その結果、苦労して完成したスケジュールが次のとおりです。
 1日目(26日、火)・・・1日目記事のトップへ
神戸港(0:30発)→加藤汽船→高松港(4:10着)→送迎バス→高松(4:58発)→観音寺(6:22着、6:24発)→今治(8:40着、9:09発)→松山(10:31着、11:28発)→八幡浜(13:24着、13:30発)→宇和島(14:26着)→宇和島観光→宇和島(18:03発)→窪川(20:17着、21:26発)→中村(22:27着、23:25発)→宿毛(23:55着)→徒歩→宿毛港 ※窪川〜宿毛は土佐くろしお鉄道
 2日目(27日、水)・・・2日目記事のトップへ
宿毛港(3:00発)→宿毛観光汽船→佐伯港(6:00着)→徒歩→佐伯(6:22発)→延岡(7:32着、8:26発)→日之影温泉(9:24着)→日之影温泉→日之影温泉(10:48発)→高千穂(11:08着)→高千穂観光→高千穂(13:44発)→延岡(15:01着、15:22発)→宮崎(16:57着、17:00発)→西鹿児島(19:51着) ※延岡〜高千穂は高千穂鉄道
 3日目(28日、木)・・・3日目の記事のトップへ
鴨池港(12:25発)→南海郵船→垂水港(13:00着、13:10発)→バス(以下同)→航空隊前(13:49着)→鹿屋航空資料館見学→航空隊前(15:19発)→鹿屋乗換え→志布志駅(16:38着)→志布志港(18:00発)→ブルーハイウェイライン西日本→
 4日目(29日、金)
大阪南港(7:40着)
 以上の通りです。第3セクター鉄道を2つ、フェリーを4つ含むようになり、また、宿泊も船中3泊となりました。加藤汽船と宿毛観光汽船はそれぞれ3時間航路なので、日中の寝不足が心配でした笑。
 神戸〜宇和島の道中にて
1日目は神戸港に向かうことから始まるのですが、明石を出発したのは前日の22時です。いわばスケジュールには書かれていない隠れた0日目というのがあるのですよね笑。さて、家を出た時から雨が降ってきました。夕方は晴れていたので大丈夫だと思っていたのですが、「ん〜、今回は雨かな?晴れ男の運も尽きたか」と諦めていました笑。嘆いても仕方がないので、雨が激しくなる中電車に乗り込みました。ところが、三ノ宮駅を降りた頃にはピタリと止んでいました。「いーやまだわからんぞ!!」油断はせずに歩いて神戸港に向かいました。冷夏とはいえどもさすがに雨上がりは蒸し暑いです。汗を少しかいて加藤汽船の乗り場に到着しました。

 加藤汽船はフラワーロードをまっすぐ南に歩いていくだけで到着するという、非常にわかりやすい乗り場です。送迎バスもあるのですが、200円がもったいないということで使っていません笑。乗船手続きを済まし、1時間くらい待っていました。やがて「りつりん2」が着岸しました。降りてきた徒歩客はわずか5人。まあ、電車も終電が近いし、ちょっと利用しづらいんだろうなと思いました。逆に乗り込んだ徒歩客は30人ほど。寝ながら移動できるんだし当然か、と思いました笑。

 フェリーは順調に西へ。やがて須磨海岸が見えてきました。有名な迷惑夜間花火をテレビで特集していましたが、1時になった今でもいるんだろうか?と思ったら2発パーンパーンと・・・迷惑ですねえ。ちょうど船上には雲間を縫って流れ星が見えたのに。人工の花火よりも天然花火のほうがごっついきれいやぞ、と海岸に向かって言ってやりました笑。1:30前には明石海峡大橋を通過。ホームシップのたこフェリーも見えました。いるか君ですね。海峡を通過の際にえらい蛇行するなと思ったら、巨大船がのんびりと航海していたり、周囲は漁船もあったからみたいです。潮が厳しいし、絶好の猟場、難所の上に夜間ですから大変そうですね。素人目から見ても操船したくないです笑。いつも思うのですが、ライトアップのない橋は、どーんと暗闇に紛れて不気味に見えます。景観を大切にするためにライトアップはしないのだそうですけど、夜になったら景観とか関係ないと思うのですが、、、まあ省エネという意味ではいいでしょうね。通過後は夜景はぐんと減って面白くないのでとりあえず寝ることにしました。雷を気にしつつ・・・

 翌朝、と言っても2時間後です笑。外を見ると豪雨です。そのせいかちょっと遅れているようですね。さて、この豪雨も着岸時にはピタリと止みました。うーむ奇跡だ笑。約10分の遅着でした。急いで送迎バス乗り場へ。なぜならば徒歩客が多くて満員拒否されると思ったからです。でも。。。結果は余裕でした。「あれ?みなさんどこさ行った?」高松駅まで遠いですね。ほんまに無料でいいんか?と言いたいくらい。

 高松駅前で降りました。工事も終わったみたいできれいになっていました。それにしてもこんな時間にたむろしている人たち。早起きすぎです笑。高松駅から関空行きのバスも発車していきました。みなさん、非常識な時間に何をしてるんで?笑。さて、1発目の電車に乗り込んだら隣にマリンライナーが待機中でした。平成15年10月1日のダイヤ改正でマリンライナーが新型になりますので、今回が見納めでしょう。9年間しか見ていませんが、ずいぶんお世話になりました。できることならばラストランまでにもう1度乗りたいものです。

 高松駅を出発したのが4:58。始発にしては早すぎる気がしますが・・・。んでもっていきなりダイヤが乱れました。おいおい、接続に間に合うのかよ!!と思ったら観音寺駅からでも同じ電車だそうです。6:30すぎに豊浜に停車すると、駅そばではラジオ体操をする子供たちがいました。夏の風物詩で懐かしいですね。駅前でするのでよけいにレトロな感じがしました。まあ駅舎も古かったんですけどね。それにしても予讃線で高松を出てからしばらくするくらいまでの間の四国の山って面白いんですよ。山といえば波みたいな重なりがいくつか集まっているのが普通だと思うのですが、ここでは山が1つだけドーンと立っていることが多く、まるでお灸をすえられているようにも見えます。だから「灸まん」というお土産があるんでしょうね。

 今治に到着してさあ乗換えと思ったら、また同じ電車で松山へ。「おっかしいなあ。時刻表には2回乗り換えのはずなのに・・・」結局、高松から最初の休憩地である松山まで1つの電車でした。面白くはないし、ラッシュ時にも誰も隣に座らなかったのがちょっと不気味ですね。9:30頃に「大西」という駅に停車しました。「大西?どっかで聞いたな」と思っていたら、車窓から大きなフェリーが見えてきました「ああ。れいんぼうらぶか」大西には新来島どっくがあって、たびたびフェリーがやってくるところです。れいんぼうらぶは九越フェリーの船ですが、新造船で係船となったために、ちょっと前に長崎からここにやってきたようです。れいんぼうらぶを生で見るのは初めてですが、いい船だなと思いました。どこぞのフェリー会社が早く売船して動かしてやってほしいなと思います。結局松山に定刻どおりに到着しました。ダイヤが乱れていたのですが、今治で長時間停車(長時間待ちではない笑)したので当然ですね。

 さて、3年ぶりの松山。今でも2番目に好きな街です。当初のスケジュールでは道後温泉にもつかれるはずだったんですが、今回の目標は宇和島を重点としているので、時間配分は宇和島寄りにすべく松山での滞在時間は大幅に削った結果、駅うどんを食べる時間しかなくなってしまいました笑。でも駅うどんはじゃこ天うどんを頼んで束の間の松山を味わってきました。次回はダイヤモンドフェリーで上陸するぞ!!と誓って松山を後にしました。ここの駅そばはうどんよりも20円高いのが不思議に思いました笑。

 松山を1両編成で出発しても相変わらず座れました。まあ1番乗りで乗車したから当然ですね。次の市坪駅には坊ちゃんスタジアムがあるからか、大量の野球部員が降りていきました。そこのスタジアムは母校がベンチの看板スポンサーになっているらしいけど、大学名の前に「京都」と前書きせんでもええじゃん!!笑。上灘駅前頃から海岸線が見えてきました。伊予灘です。上灘駅の次は下灘駅ですね。青春18きっぷ12〜13年冬シーズンのモデルとなった駅です。モデル駅の訪問は、北海道の根室本線厚床駅以来ですね。もっとも厚床駅は誰も乗り降りもしなかったのですが、下灘駅はぞろぞろと降りていきました。ぞろぞろと降りたので、車内の座席はところどころ空いています。まあ地方路線らしくていいじゃないですか笑。また、喜多灘駅から乗ってきた20人くらいの中学生がいましたが、なぜか全員小学生に見えます。都会では小学生が中学生に見えるくらいなので、この違いにちょっと驚きましたね笑。電車は八幡浜に到着し、乗り換えて宇和島に向かいました。やはりボックス席独占でした笑。でも、サービスがいいんですかね?統計上、乗客が少ないと電力の無駄遣いを防ぐために1両編成とかに減らすと思うのですが。。。それでも、対向の特急は結構の入りでした笑。特に変化はなく宇和島に到着し、予讃本線を全線完乗しました。ここも終着駅ですね。車止めがありました。終着駅って何となくいい感じがするんですね。やっと来たなあ、という笑。高松から11時間もかけてやっと最初の目的地に到着したわけです。
 宇和島観光
 宇和島の目的は宇和島城です。駅にあった案内図を頭に入れてとりあえず向かうことにしました。経費節減のためにロッカーは使いませんので、荷物が重いですが・・・。宇和島城は山の上にあります。麓に到着して「さあ!!頑張るか」と山登りを意気込んでいましたがさすがにきつい。汗がいっせいに噴出してきました。一気に上るのはさすがにきついので、途中にある城山郷土館に立ち寄って一汗を沈めることにしました。郷土館ですから、主に宇和島の古資料を陳列しています。狭いフロアですが、それなりに充実されていましたが、一番よかったのは古写真ですね。戦前の宇和島市内の風景など、いずれも当時を記録した貴重な写真です。ここの係員さんは非常に親切で、扇風機をわざわざ事務室から持ってきてくれて貸してくれました。思わず感想ノートに「扇風機ありがとうございました」と書置きしてしまいました。あまり書き込み日数が進んでいないようなのでいつまでも残っているでしょうから、僕の本名を知るチャンスですよ笑。

 郷土館を出る際に一応、あいさつをしてから出ました。本当はもっとゆっくりしていたいのですが、天主の入場時間が限られているので出ました。再び山登り。ぜーぜー言いながら到着しました。攻城戦って大変なもんだな、と改めて思い知らされました。宇和島城は立派な玄関を持つ3階建ての小さな天主です。それでも、重要文化財なので将来の国宝候補ですね。

 最上階からの眺めは海も山も見える素晴らしい眺めでした。ここで暮らしたら気持ちいいだろうな笑。内部は、シロアリの猛威にも遭った記録や全国の城の紹介がありました。一般的に博物館とかにする例が多いのですが、20畳程度しかない小さな城ですので、あまり陳列はしていませんでした。これはこれでいいかもしれません。あまり物を置くと傷を負ったりする恐れがありますので。。。天主を出ると再び降りました。今度は楽なのですが、着地に失敗すると足を痛めるので、下山よりも登山のほうが好きです笑。麓に降り立っても出発までだいぶ時間がありますので、とりあえず山の周りをぐるりと歩き回ることにしました。見たところ小さな山なのでそんなに時間がかからないと思いましたし。戦火で天主とともに残った「上り立ち門」を見てもまだ時間があったので、伊達博物館にも向かうことにしました。
「宇和島城」 「上り立ち門」

 伊達博物館は、宇和島藩主の伊達氏の博物館なのですが、伊達といえば仙台の伊達氏が思いついたのですが、やはり仙台伊達氏でした。つまり左遷ですね。それほど、徳川氏は伊達氏を恐れていたのでしょう。博物館では伊達政宗が使用したとされる鎧も展示されています。独特の兜飾りがかっこいいですね。ここでは50面以上の能面の標本模型が一番興味を持ちました。能面とは一口で言ってもさまざまな種類があるんですね。規模の大小にかかわらず博物館に行くといろいろと勉強させられることが多いです。

 宇和島観光は、宇和島城と伊達博物館が限度のようです。伊達博物館を出たら駅に戻ることにしました。博物館のすぐそばに宇和島東高校があります。甲子園出場の常連校として有名ですね。ちらっとみたのですが、他のクラブでも全国大会出場おめでとうののぼりが掲げられていました。部活に熱心な高校は、夏休みもないようです。それにしても暑いですね。すぐに喉が乾いてきます。節約するとわかっていてもついつい飲み物がほしくなってきます。結局、誘惑に負けてジュースを買っちゃいました笑。でも、コカコーラ社の100円ミニ缶タイプですからなおさら手を出しやすくて。。。笑。途中で、川があるはずなのに川が見えない場所がありました。突然橋があってあれ?と思ったら、川のなかに支柱を立てて、その上に家を建てている感じです。いろんな意味でちょっと怖いですね。。。

 宇和島駅に到着したのは発車1時間前。とりあえず、お土産を探すべくうろうろしましたが、これといったお土産がありませんでした。闘牛の置物とかはあるのですが、闘牛場にも行っていないのでどうかと。結局、宇和島でのお土産はなしということになりました。とりあえず、記念スタンプをたくさん押したのでまあ良いでしょう。18:03に宇和島を後にしました。
 宇和島〜宿毛の道中にて
 宇和島駅から予土線で窪川駅に向かいます。ここから、宿毛駅まで終電3連発です笑。車内は学生さんがほぼ占領状態で一般の乗客が5人くらいでした笑。四国って勉強熱心なのでしょうか?それとも、都会では乗客の多さに気づかないだけなのでしょうか?英単語の受験本を熱心に読んでいる学生さんもいてちょっと感心しました。電車が駅に停まるたびに学生さんも次々と降りていきました。松丸という駅でほとんどの学生さんが降りていって車内は10人ほどになりました。松丸駅は駅の中に温泉(「森の国ぽっぽ温泉」)があるくらいだから栄えているのでしょう。僕も宇和島を早く出られたら入ってみたかったのですが、やはり時間の都合上あきらめました。それにしてもあきらめるのが多いですね笑。半家駅で最後の学生さんが降りて、とうとう一般乗客3人になりました。1日6往復程度しかなく、また宇和島を18時に発車するのが終電というので、都会暮らしの人には想像できないでしょう笑。やがて外は真っ暗になってしまったのですが、四万十川がどうにか確認できました。これでも一応観光したということになるのでしょうか?笑。

 20:17に窪川駅着。何もありません笑。ここで夕食をと目論んでいたのですが、店じまいでした笑。コンビニは当然ありませんので、夕食抜きを覚悟しました笑。窪川駅の印象は寂しいですね。タクシーが2台待っていましたが・・・やがて中村行き特急「あしずり」が到着しました。意外と降車客が多かったです。次々と改札口を抜けては、暗闇に消えていきました。1時間暇をつぶして、21:26にやっと窪川駅を出ました。土佐くろしお鉄道の1両編成で乗客は2名でした笑。まあJRからの接続がありませんので当然ですね。しかし、他の人も土佐入野駅で降りてしまい、とうとう貸切電車になってしまいました笑。地元のバスでは時々貸切になるのですが、電車で貸切になるのは悪くないですね笑。お遍路の四国らしく、途中の無人駅でいくらかのお遍路青年が野宿していました。宇和島駅でもすごい修行中の格好をしたお遍路さんもいましたし、朝でもどっかの駅で出発の支度をしているお遍路装束をまとった方もいました。

 22:27中村着。結局降りたのは僕一人でした。普段から降りる人はいないのか、改札口に駅員さんがいませんでした笑。とりあえず従業員の休憩室前をうろうろしていると、あわてて飛び出してきてやっと改札を出られました笑。ここでも1時間待ち。この時間に乗り換え待ちするって異様じゃないですか笑。休憩は十分すぎるくらい取りましたが、腹が減ります笑。1時間もじっとしていてもあれですから、ダメもとでコンビニを探してみることにしました。するとありましたねスリーエフが。メジャーではないですが、コンビニであるので食料を調達することにしました。サンドイッチ、おにぎり、アメリカンドッグ、ヨーグルト、とすごいですね笑。しかも、10分ですべて平らげました笑。

 中村駅を23:25に出ました。今回は特急の接続でもあるので、10人ほど乗っていました。土佐くろしお鉄道には夜しか乗っていないのでわからないのですが、あまりの少なさに経営大丈夫ですか?と心配になったりします。中村駅の自動券売機の解説から障害者割引で半額になるとわかっていましたが、貢献するために普通運賃で乗車しました。第3セクターは苦しそうですから頑張ってほしいものですね。宿毛駅に23:55に到着しました。四国での最後の終着駅です。宿毛駅は立派なのですが、清算は車内でということで、働いているのは運転手さんひとりのようです。もしかして運転手さんだけで、駅のシャッターを閉めるのか、と気になりつつ改札口を出ました。
 宿毛〜延岡の道中にて
 宿毛駅を出発するとすでに日付は変わって27日になりました。ここから宿毛観光汽船のある宿毛港に向かうわけです。宿毛港を出航するのは3:00ですから、ターミナルで暇をもてあましすぎるだろうと思いタクシーを使わずに歩いて向かうことにしました。ターミナル位置の前知識はなく、ただ「海へ向かえ」ということで、宿毛駅前の案内図を軽く頭に入れて海へ向かうことにしました。

 ここで普段なら不要な小道具が大いに発揮することになります。その小道具とは「ライト」と「腕時計」です。ライトはアウトドア用の本格的なミニライトなのですが、宿毛市内は街灯はほとんどなく暗いこと。足元を照らすライトが必須です。ライトがなければ足元がわからず水たまりに何度かひっかかったりつまずいたりしていたことでしょう。そして腕時計には方位磁石がついています。普段から方向音痴にならない僕としても、初めて来る町や曇っていて星が見えない日は東西南北がわからず下手したら微妙に間違えることがあります。宿毛駅はこの時間ですから店も閉まっていて場所がわかりづらかったですし、出発時は少し曇っていたのでまずは方向を知ることから始めました。

 ライトの照射距離は非常に長いですから、かなり遠方の道路案内標識を遠くから見つつ、西へ西へ歩いて30分後にターミナルに到着しました。宿毛市街は意外とコンビニやレストランなどがあって充実していますが、ほとんどが営業終了していました。今後は開発されて変化が起きると思いますが、できるだけ変わらないでいて欲しいと思いました。
左・・・Colemanアウトドア用ライト
 小さいながらも威力は抜群。
 大学卒業時にサークルからもらった宝物です。

右・・・CASIO「PROTREK」
 高度計、気圧計、温度計、方位磁石がついた万能型です。
 宿毛港に到着しても2時間30分近く持たないと行けないです。ターミナルは待合室に入れるのですが、入るだけで何もなく椅子があるだけで、窓口もカーテンが閉まっているのですから待つだけです。他にも誰かいるのかな?と思ったら予想どおりに僕しかいませんでした笑。待合室はクーラーもかかっていませんから暑いんですね。2時間の間に何度も外に出たり椅子に座ったりしたのか回数すら忘れるくらいです。時々、ターミナルの自動販売機に車で買いに来る人がたくさんいましたので、驚かされたことでしょう笑。

 1:50頃になって窓口のある部屋から係員さんがトイレに行ったりとぼちぼち開店の準備を始めて長かったなあと思いました。当然ながら受付は一番乗りです。それにしても係員さんはいかにもさっき起きましたという格好で受付していたのがちょっと面白かったですね。

 3:00出航の担当は「ニューあしずり」でした。2隻あるフェリーで古い方ですね。乗船開始と同時に一番乗りで客室に飛び込みました。徒歩客は誰も居ないんかなと思ったらで続々と5人ほどになりました。深夜便にかかわらず結構な入りですね。ちなみに宿毛に到着した便に徒歩客は誰もいませんでした。まあそうでしょうね笑。ただ、タクシーがきちんと待ち受けていたのには驚きました。そして出航。出航の様子を甲板に出て見物しました。空を見上げるとオリオン座が上る頃になっていて、もうそんな季節になったんだなと思いました。出航と同時にスピードをアップし、たちまち風がきつくなってきたので船内に入りました。さて、船内は売店もあるのですが深夜ですから閉まっています。あとは特に特徴はありませんでしたので寝ることにしたのですが、なかなか寝付けず寝たのはたったの1時間でした笑。
佐伯港の「ニューあしずり」
 佐伯港にはダイヤどおりの6:00に到着しました。フェリーですから若干遅れるかなと思ったら定時どおりでしたので驚きました。JR九州佐伯駅の始発が6:22ですから、出発まで22分あります。5分くらい大丈夫だろうと思い、ニューあしずりの写真を撮ってその後佐伯駅へ向かいました。さて、佐伯駅へ向かうのもとりあえず西へ向かえ、という前知識だけで地図なんか持っていません笑。今回の旅行って何て適当なんでしょう笑。やがて10分ほどで佐伯駅に到着し、6:22に佐伯駅を出発しました。4両編成だったと思うのですが、僕以外は誰も乗っていませんでした。

 出発してややすると眠くなってきました。前日はあんなに動いたにもかかわらず1時間しか寝ていませんから当然ですね。途中の宗太郎駅でたまたま駅名板が横に見える場所に停車したので、面白い名前だからパチリと。帰ってから後に名物駅であることを知りました笑。窓を少し開け、柔らかな朝日と風が気持ちよくてそのまままた寝てしまいました。次に起きたのが延岡駅です。頭がはっきりしていなかったので停車中かと思っていて駅名板を探したら「延岡駅!!」車掌さんが見回りに来ましたので慌てて飛び降りました笑。宗太郎駅から30分後の出来事でしたが、電車の中でこんなに深く寝てしまったのは久しぶりでした。この時点でもう疲れてます・・・
独占状態の車内 「宗太郎」駅
 神の国高千穂へ・・・ _
 7:32の延岡駅。世間で通勤通学ラッシュですね。夏休みなのに通学ラッシュというのはおかしいと思うのですが、延岡駅は高校の学生さんであふれていました。朝食は喫茶店でモーニングセットを、と前日から決めていたのですが、なぜか喫茶店がない!!捜し歩くうちの少しずつ時間がなくなってきたので、仕方なくコンビニでおにぎりなどを買って高千穂鉄道に乗り込みました。大きなかばんは延岡駅に置きっぱなしにしました。重いし邪魔になりますからね。

 8:26に出発したのですが、1両編成の車内の入りはまずまずと言った所でしょう。途中で何度か減速しては観光案内のアナウンスが出てくるかと思うと、観光列車の役割も果たしているようです。日常の足として利用している人はうるさいんじゃないかな?と思いつつ・・・

 9:24に日之影温泉駅に到着しました。やっとお風呂に入れます。駅舎が温泉になっている駅は全国でも珍しいのですが、前日の松丸駅と言い、今回の旅行に限っては珍しくないと言っておきます笑。日之影温泉は広いとはいえないのですが、きちんとした露天風呂にサウナもありますから高千穂観光の途中に一汗流すとしては十分だと思います。また、外は森の中ですから露天風呂で森を見つつ、そして柵越しに列車が駅に停車するのを見るのもまたよしです。この温泉の大部分の利用者が電車で来るからか、電車の信号を利用した駅到着までの残りの時間を教えてくれます。5分ほど前になると赤信号がともり、急いで駅に向かわせてくれるようになっています。いいアイデアだなと思いました。

 10:48に日之影温泉駅を出発しました。いくつかのトンネルを潜り抜けた後いよいよ見ものの水面から105mで東洋一の高さを誇る高千穂鉄橋を走ります。東洋一ですから当然ながら日本一ということですね。橋の上では観光のために徐行します。なるほど高いですね。橋を通り抜けると程なく高千穂駅に到着しました。
日之影温泉駅と駅舎 高千穂鉄道車両 高千穂鉄橋から
 高千穂駅に到着するとまずは高千穂神社に向かうことにしました。歩いてもそんなに距離はないのだから大丈夫だと思ったのですが・・・どこで間違えたのか、観光客が来そうにない生活道路を歩んでいました。駅でもらった地図は微妙にわからなさすぎです。やっとのところで高千穂神社の道路地図を見つけたのですが、距離がすごく遠くて高千穂神社に着いた時点で力尽きました。

 高千穂神社は神秘的ですね。前日は雨だったので境内はしっとりと濡れており、ところどころに差し込む日が薄暗いのでそのような雰囲気を醸し出しているのだと思います。「伊勢」「出雲」「淡路島」など国生み神話は作り話とはわかってはいても、作り話とは言い切れない要素がどこにでもあるような気がしました。

 高千穂神社に参拝を済ませると次は高千穂峡です。ところが・・・高千穂の観光地として最大の欠点は路線バスがないことにあります。あるにはあるのですが、電車との時間の都合上、利用したくてもできない非常に不便なダイヤなのです。観光客はなおさら時間に余裕がない定期観光バスやタクシーを使って行かなければなりませんが、タクシーを利用するような余裕はありませんので歩いて向かうことになります。高千穂駅を高台と考えると高千穂峡はかなりの高度を下げた場所にあります。そしてその距離も短いので急な角度で下っていくということになります。ですから、下りに下って坂が急になるにつれて足は徐々に痛くなっていきます。でも途中で歩かなければ気づかなかった玉垂れの滝に遭遇してちょっと癒されました。着いたところは高千穂峡遊歩道の終点でした。つまり逆ルートだったわけですね。
 ここまででわかりますように、高千穂には観光地だったら曲がり角によくある観光案内板がほとんどなく、前知識なく初めて来る観光客には非常にわかりづらいです。今思えば、案内板が充実されていたら高千穂神社に行くまで迷うこともなかったでしょうし、高千穂峡への繋がった歩道がないために逆ルートの道をたどってしまうことはなかったと思います。

 済んだことは仕方がありませんから、とりあえず楽しむことにしました。僕にとって旅行を楽しむ基本は家に帰ってから不満をぶちまかすのが基本です笑。高千穂峡といえばあの神秘的な滝(間名井の滝)ですね。滝の水しぶきによって渓谷にぼんやりと光が差す神秘的な光景でした。手漕ぎボートで渓谷を楽しむこともできるのですが、はっきり言って上から見られすぎです笑。下手なことはできませんから乗るのも別の勇気がいるなと思いました笑。その他にも、さまざまな滝や奇岩などがあり、自然が生み出した造形美が高千穂という神話の地を一層神秘的にさせているような気がしました。

 遊歩道を歩き終えた時点で次の電車まであと40分。40分もあれば余裕だと思うでしょう?しかし、高千穂神社から高千穂峡まで20分ほどかかりましたし、高千穂神社から高千穂駅まで微妙な距離ですからギリギリというわけです。
 帰り方は2ルートあります。それは距離が若干長いけれども傾斜がゆるやかそうな「自然観察路」を行くか、急な傾斜だらけで歩道がなくて危険な「一般車道」を行くかです。徒歩だけの観光客は一般的に自然観察路しか安全な行き方がありません。高千穂峡に向かうときの非常に急な傾斜を思い出しましたので自然観察路ルートを行くことにしました。「自然観察路」という名前はいいのですが、実態はちょっとした登山です。時間がありませんから、休憩なしに降り出した雨に打たれながら、濡れた地面に滑りながら、折りたたみ傘をピッケル代わりに終点の高千穂神社裏にたどり着きました。息が非常に苦しいです・・・しかし、休むことは許されませんのですぐに駅に向かうことにしました。でもこういう時間がなくても神社を後にする前に、最後の鳥居で振り返って一礼することを忘れませんでした。高千穂神社を後にすると駅まで歩きやすい道路です。本当に足が痛すぎてタクシーを見つけたら乗ろうと思うくらいだったのですが、結局タクシーは駅に着くまで見ませんでした苦笑。駅に着いたのは出発の10分前で何とか間に合いました。到着するやすぐに自動販売機を探し、アクエリアスを一息で一気飲みしました笑。お土産を買おうと思ったのですが、特にこれといった名産品はなかったので高千穂のお土産はなしにしました。乗車前に駅前にある高千穂の民家で夜神楽の再現をした人形がありましたのでぱちりと撮り、駅のスタンプも押しましたしこれで何とか満足できたと思い、13:44に高千穂駅を後にしました。
高千穂神社 高千穂峡(間名井の滝) 夜神楽の再現人形
 高千穂駅を出ると眠気が襲ってきました。無理もないですね笑。高千穂鉄道を乗り通すと1時間半ほどありますので、その大部分は寝ていました。ただ、汗びっしょりになったシャツが気持ち悪かったので、乗車中にこっそりと脱いで防寒用に用意しておいた長袖の秋用シャツ(5ボタンの服)を着ました。このシャツはTシャツの上に着るのが普通なのでちょっと気持ち悪いですが笑。ちなみに着替え中は隣に誰も居ませんでしたし、特に混むことはなかったので気にされませんでした笑。帰りも車内の観光アナウンスを気にしつつ延岡駅に15:01に到着して束の間の休憩を取ることになります。
 延岡〜鹿児島の道中にて _
 再び延岡駅。出発まで残り30分ほどです。高千穂でのあまりの慌しさに昼食を取っていないんですよね。予定では西鹿児島駅には20時前に到着になっています。ということは今後5時間近く食事が取れないわけですね。これまた微妙な時間なのですが、駅うどんに入ってとりあえず胃の中に入れておくことにしました。いつもどおりにかけうどんと平凡な注文なのですが、壁を見て気づいたこと「和泉元彌」と名入りのサインがありました。あの有名人が駅うどんを食べたんでしょうか?まあ延岡駅周辺には食事ができる場所があまりないですから十分にありえる話ですね。意外と庶民派と見るか、やむなしと思っていたのか知る由もないですが笑。

 15:25に延岡駅を出発しました。なんてことない普通のボックスシートを独占です。やがて美々津駅を過ぎると海側である左手に延々と不思議なレールが続いています。高校卒業旅行で九州を一周したときも不気味に思いましたが、リニアモーターカー実験線の残骸なんですよね。あれからリニアモーターカーの実験線は山梨県の都留市に移動し、世界最速やら世界最速でのすれ違いやらと未だに実験しています。実験は1962年から始まっていますからかれこれ40年ですね。これ以上最速を目指すことはないそうで、これからはコスト減などを目標にしているのですが、はたして僕が生きている間に開業するのでしょうか?いや、ないと決め付けていますが笑。隣に誰も座ることなく宮崎駅に到着し、そのまま隣のホームで待っていた西鹿児島駅行きに乗車しました。ボックスシートとロングシートの混合型ですね。すでに乗客もいたのですが、結局ロングシートに座れました。帰宅ラッシュ中っていうのに・・・。かなりの入りがあったのですが、都城駅を過ぎるとガラガラになり、ボックスシートに場所を移せるくらいでした。霧島神宮駅を過ぎたあたりで夕日が少しずつ深くなってきました。桜島のシルエットが見えるようになったころ、鹿児島市内に入りゆっくりと西鹿児島駅に到着しました。

 高校卒業旅行では周遊券を駆使して九州内をあちこち移動して一応は「九州一周」は達成していたのですが、実は南宮崎〜西鹿児島は未乗車区間でした。ですから、厳密には九州一周は達成されていないことになっています。あの日のスケジュールは博多から始まり日豊本線に沿って宮崎を目指していました。まだ「にちりん」はもちろんのこと、博多〜宮崎をつばめ型車両で結ぶ「にちりんシーガイア」も数本あった時代ですね。途中の宇佐神宮で参拝した後、宮崎駅に到着したのは通勤ライナーが出てくる夜です。ここでは普通の予定ではつばめ型車両を利用した「ドリームにちりん」で博多を目指すのですが、やっぱり「きりしま」を利用して西鹿児島まで行って九州一周を達成し、「ドリームつばめ」で博多に向かいたい思ったのですが、時刻表を見ると微妙な時間です。ですから、乗換えを失敗することはもちろんのこと、周遊券は自由席ですから寝床が確保できない恐れもありますから泣く泣く断念しました。そのような過去がありましたので、今回の乗車によって数年ぶりに心残りが解消できました。僕にはJR全線を乗車する目標はありませんが、環状線みたいに円で結ぶようなスケジュールをよく立てているのでJR九州内に関してはこれで満足です。

 数年ぶりの西鹿児島駅。九州新幹線が開業すると「鹿児島中央駅」に変わります。当時から九州新幹線をにらんで独特の形をした駅で九州内のどの駅よりも印象に残っていたのですが、現在はさらに周辺の工事中で、全体が完成すると観覧車つきの駅になります。みどりの窓口にある完成模型を見た瞬間に「大阪の真似してる」と絶句しましたね笑。そういえば九州南部に観覧車ってなかったですね。ここから桜島が見えるようになるのでしょうか?とりあえず次に西鹿児島駅に訪れたときはどのような形になっているのか楽しみです。

 今回の宿泊先は鹿児島の繁華街である天文館にある「ビジネスホテル アトリエ」です。選んだ基準は天文館に近く、安いだけです笑。天文館という基準は、天文館ってどんなんかなという興味だけです。前回鹿児島に来たときは天文館は通り過ぎるだけでしたから。地図を頼りにぐるぐると「あれないぞ」「こっちか」「いんやおかしいな」「あっそこのラーメン屋さん雰囲気がよさそう」「なんでこんな大きい道路に出たんやろ?」「えっと今どこや?」「これっぽいかな」「あったあった」こんな感じです笑。ちなみにホテルの隣にその雰囲気がよさそうなラーメン屋さんでした笑。ラーメンに夢中になっていてすぐ上の看板に目が行かなかっただけですね笑。とりあえず「アトリエ」にチェックインしましたが、瞬間に他のホテルと何かが違うぞと思いました。徐々にわかってくることですが、まずは領収書を出さない、コンセントの電気を一度に使いすぎるとブレーカーが落ちて他のお客さんに迷惑となるという室内にあちこちとしつこい注意書き、不審者対策で常にカメラでチェックしているという牽制の注意書き、果てにはバスタブの防滴カーテンの幅が短くて床がお湯浸し、今まで利用したホテルの中では最悪でしたね笑。当然ながら永久不使用ホテルに認定されました笑。

 夕食は鹿児島ラーメンと決めていましたので、よさそうに見えたホテル隣のラーメン屋さん「道三」へ。明石に帰ってからガイドブックでいろいろ探したのですが、このお店は結局見つかりませんでした。つまりガイドブックには載っていないお店ということになりますね。とりあえずラーメンを頼みました。感想は味がしつこいけど好きな人は好きで嫌いな人はそうでないという感じですね。僕はしつこい系が好きなのでgoodでした。そうそう、ここにやってきた有名人は「ウッチャンナンチャン」と「くりぃむしちゅー」の片方のサインがありました。”片方”の名前ですが誰なのかは読めませんのでわかりません笑。それにしてもサインって何故あんな読みにくい書き方をしているんでしょう?笑。サインというか壁に貼られた名刺にはテレビ局関係とか。遅いせいか行列はありませんでしたが、隠れた名店なのでしょうかね?

 夕食後はお風呂に入って、前述のような不満を言いつつ久しぶりにベッドの上で就寝しました。
 翌朝。起床予定時間は7時くらいで、朝は鹿児島市内をちょっとぶらりとしようと思っていました。しかし、疲れがあったのか目が覚めたのは9時でした笑。すぐに散策の断念を決め、とりあえず朝食は無料なのでロビーに向かいました。味は・・・何でゆでたまごがこんなに柔らかいん?ということで、味もいまいちでした笑。チェックアウト時間前にもかかわらず大量のゆでたまごが残っていましたので、恐らくは古いのでは?と不安になりました。

 チェックアウトをしたらとりあえず鹿児島港に向かいました。せっかくですから、後学のために離島航路のフェリーターミナルはどんなんかな?と思ってですね。スケジュールとは違うのですが、早く鹿屋に向かっても仕方がないと思ったので時間をずらしました。フェリーターミナルは天文館の中心部から歩いて20分ほどですね。内部の様子は本日は出航がないか終わったところなので閑散としていました。お盆時期とかではにぎわって楽しそうな感じがすると思います。

 ターミナルを後すると路面電車で西鹿児島駅に向かい、そこから鴨池港行きのバスに乗車しました。発車時は意外と混んでいましたが、途中でお客さんをよく拾い拾い、終盤になっても混み具合は落ちず変な意味で不安になっていました。終盤の終盤でようやく降り始め、鴨池港の1つ前で最後のひとりが降り、結局は僕しか乗っていませんでした。いつもそんな様子らしく、運転手さんも僕が乗っているとは思わずに慌てていました。とりあえず不気味な路線でしたね笑。

 鴨池港から南海郵船に乗船して垂水港に向かいます。鴨池港の乗り場は建物は古いですが、バリアフリーに関してはエレベーターが付いていたりと意外と整っていると驚いていたら、フェリーもこの船齢にしては段差に悩まされることなく障害者用の船室に誘導できるようになっていました。

 12:25に鴨池港を「フェリー第8おおすみ」にて出航しました。これで僕にとっての日本最南端乗船記録となります。それともうひとつ、最南端の船内うどんを味わったことにもなります笑。かけうどん(360円)だったのですが、小さなさつまあげが付いており、地元の味を楽しめたのがよかったですね。乗船中は桜島をぐるりと見回せましたし、鹿児島商船の「トッピー」の走行姿が見ることができましたので、30分の航海時間ながら内容の濃い時間でした。
フェリー第8おおすみ 桜島
 垂水港を定刻に着岸し、垂水港のフェリーターミナルもこれまた立派でした。小さな航路ながらこんなに立派に整っているのは素晴らしいと思いました。13:10にバスに乗車して鹿屋の自衛隊前向かいました。乗車したバスは高速バスと同じ大型バスでした。高速道路に乗り入れないのに大型バスは初めてですので、妙な感覚を覚えてバス停ごとに細々と停車していくのには面白かったりします笑。ただ、不満はといえば車内電光運賃表が「次は○○」とバス停を教えてくれるのではなくて、「運賃は○○まで」という一昔前まで多かったタイプです。おかげで「自衛隊前」がわからなくて冷や冷やしました。結局、出張帰りらしい自衛官がいたおかげで通過しませんでしたのでほっとしました。

 受付で自衛官の方が迎えてくれました。なんかきびきびとしてよかったですね。それに荷物が重かったので「預かりましょうか?」と声をかけてくださいましたのでその配慮が嬉しかったですね。海上自衛隊鹿屋航空基地は鹿屋基地史料館が隣接しており、第2次世界大戦末期にこの基地から飛び立っていった特攻隊員の遺書などが陳列されています。ちょうど僕と同じくらいの年齢の人たちがお国のためにと自らの命を犠牲にして戦艦や空母に突っ込んでいったのですから複雑な気分ですね。後になってから正しい戦争というものはないと証明されるのですが、戦時中は自分たちの生活を守るのに精一杯で考える暇がなかったのかもしれません。
屋外展示機
 貴重な展示品の数々に時間が経ってしまい、志布志へ直通のバスを見逃してフェリーへの接続終バスということになりました。それでも広大な自衛隊基地と同じような風景にバス停のある方角を見失ってしまいました笑。あと10分と時間がありません。これを逃すと非常に危ないんですよね。走って走ってぎりぎりで間に合いました。教訓としてこの史料館をじっくりと見たい方は2時間以上の余裕を持ってください。1時間では全部見切れません。

 「自衛隊前」から「鹿屋」まで約6分です。そこで乗り換え、志布志に向かうことになります。乗換えが面倒だったのですが、直通は1時間に1本しか出ていませんので仕方がないです。10分の乗り換えで志布志行きに乗り込みました。今度は普通の路線バスタイプでした。大型バスタイプは垂水⇔志布志の直通路線に導入されるようですね。なぜタイプが変わるのかは乗っていて気づきました。それは路線バスタイプは非常に狭い道も走るからですね。だから、ダイヤも直通と乗り継ぎとでは微妙に違うのかとわかりました。それにしてもこの会社の運転手は変わっています。何が変わっているのかというと、バス同士のすれ違いのときには軽く手を上げてあいさつするのが普通なのに、ここでは万歳したり、強く手を振ったりと笑。傍から見ていて危なそうなのですが、ちょっと笑ってしまいましたね。

 さて、乗車しているバスの終点は「志布志」で、僕が降りたかったのは「志布志駅前」です。例によって「運賃は○○まで」なので志布志まで行ってしまいました。他に乗客は10人くらいいたのですが、みんなブルーハイウェイライン西日本の利用者のようです。みんな「ええ!?」といった驚いた顔をしていました。まあフェリーどころか海すら見えませんので無理もありませんね。行き方とかを色々と運転手に聞いているようですが、僕はそんなことを聞いても仕方がありませんから志布志駅まで歩いて向かいました。志布志駅に到着したのは17時前で、乗船手続きが17時までにですからやむをえず駅前でタクシーを拾ってターミナルに向かいました。1kmもありますから歩いていたら絶対に間に合いません。「ブルーハイウェイライン西日本のターミナルまでお願いします」「さんふらわあですか?」「まあそうです」・・・おいおい「さんふらわあ」は関西汽船もあるぞ!!と内心つっこんであげました笑。それにしてもさんふらわあの知名ブランドはすごいものですね。タクシーは約5分で590円でした。しかしですね、メーターがあと50mというところで上がったものでセコイものですね笑。

 さて、乗船手続きですがひとつの課題がありました。JTBでクーポンを購入した際、繁忙期の高額な料金を払わされました。この日は通常期なので3000円も差があります。差額を返却してくれるかと思っていましたが、受付の方から気づいてくれて迅速に返してもらえました。手続きを済ませるとターミナルを簡単に見回して乗船しました。もう大丈夫なのに何を急いでいたんでしょうね笑。

 今回乗船したのは「さんふらわあさつま」です。あこがれの「さんふらわあさつま」ですので、フィナーレを締めくくるには最適ですね。利用したのはいつものように2等寝台です。この2等寝台は珍しい形状で、いつもならばベッドは通路にそって向かい合う形に設置されるのに、このフェリーは片側は壁なのでカーテンを閉めなくても丸見えになる心配がありません。ただ、欠点をあえてあげるとすれば船首から船尾まで長いんですよね。途中で休憩するスペースや連絡通路もなくただ、船央からずっと通路だけです。窓もありませんからなおさら長く感じられるのかもしれませんね。出航してきれいな日没を見たら夕食バイキングです。バイキングは太平洋フェリー以来でした。感想はこの品揃えにしては高いな、でした笑。それにしても、食事中に屋外通路の窓から夕食のメニューを覗き込んでくる人たちが気になりましたね。それも1グループではなくて3グループほどです。大胆というかあきれるというか、覗き込まれる自分の身になってみろと思いましたが、何か顔立ちが日本人らしくないなと思ったら中国系の団体客のようでした。じゃあ、文化の違いで、と諦めました笑。それにしても、なぜ中国から志布志港へ?という変な疑問も残したのですけどね笑。入浴時もちょっと・・・噂に聞いていたのですが水風呂をプールと思ってはしゃいでいる子供らが。それでも親は知らん振りのようです。サウナがあるから水風呂を設けているのでしょうけど、プール代わりにされることが多いようですので水風呂はオレンジフェリーの「おれんじ8」みたいに離れたところに設ける以外はなくしてほしいですね。
 面白かったのは、携帯電話族ですね。乗船中でも携帯電話を手放せない人がいつのころかよく見られるようになりました。離岸時に見送ってもらっている人と小さい声でさようならと手を振っている人。正直、気持ちがこもっていないような気がしますので、大声で「さよ〜なら〜〜」とやり取りするほうがドラマチックでいいんですけどね笑。航海中も「えっ?圏外?」と必死で電波を探す人もちらほら。どうやら携帯電話は海のド真ん中にも中継アンテナがあると思っているようです。電波を探しにドタバタドタバタ走り回るのはみっともないですね笑。
さんふらわあさつま
 夜中すぎには高知県沖を通過し、電波はまあぎりぎりでできる程度ですがメールの送受信は途中で切れる感じでした。それでも携帯電話族には嬉しかったのかもしれませんね笑。船内探検をするたびに「(通路が)長い!!」と声を出して嘆きつつ、そのうち疲れましたので寝ることにしました。
 淡路島に渡ります
 大阪南港かもめ埠頭に着岸後、しばらくかもめ埠頭のターミナルに留まった後、フェリーターミナルに行き、この後はどうしようかと思いました。その結果、南海淡路ラインで淡路島に渡ろうかと思いました。
 南海なんば駅から泉佐野駅へ。ここから送迎車が出ているはず・・・でもどこにも見当たらない。。。仕方がないので歩いて海の方向へ向かっていくとすごく遠い。。。1時間後になんとかターミナルにたどり着くと、今まさに出航していくところでした。後で調べると送迎車はりんくうタウン駅からでした。「泉佐野港」っていうから泉佐野駅で降りたのに。。。結局次の便まで2時間待つ破目になりました。
 やっと乗れたフェリーは「フェリーせんしゅう」。もう1隻就航している「フェリーさざん」よりも新しいほうなのでまあ良しとしますか。この航路の特徴は唯一関空連絡橋の下を通るというものです。でも、発着する迫力というのはちょっと遠すぎます。船内は夏休みとは言えども平日ですからあんまり人は乗っていませんでした。その他の詳細はこちらで。のんびりと大阪湾を横断して津名港に入港しました。
 津名港からは歩いて津名港バスターミナルに向かいます。あんまり距離はないので体力が残っていれば歩いた方がいいですね。津名港バスターミナルは豪華なのですが、この辺りから出ていた甲子園フェリーや大阪淡路ラインが廃止になり、ついには洲本パールラインが津名港から撤退と一気に3航路を失いましたからその豪華さはちょっと惨めな感じもしました。ちなみにここにも「みどりの窓口」があるんですが、ここでJRの指定席券を買ってみたいですね。津名港バスターミナルからは路線バスにて岩屋ポートターミナル。そこから明淡高速船で明石にたどり着きました。
フェリーせんしゅう 閉店だらけで寂しくなった津名港






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