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三木鉄道乗車記(2003年10月17日)


 はじめに

 兵庫県には4社の第3セクター線が通っています。すなわち、
1、智頭急行
2、北近畿タンゴ鉄道
3、三木鉄道
4、北条鉄道     の4社です。
 「スーパーはくと」に代表される智頭急行や「タンゴディスカバリー」、「タンゴエクスプローラー」に代表される北近畿タンゴ鉄道の2社は、JR線からの乗り入れ、また、鳥取砂丘、天橋立など有名観光地へのアクセス手段として乗客が多く、赤字が多い第3セクター線の中でも智頭急行はトップクラスの営業成績をあげています。
 しかし、三木鉄道と北条鉄道はJR線からの乗り入れはなく、また、観光知名度もそれほど高くないので客足もほとんどないために営業は苦しいようです。今回は、三木鉄道の楽しさをPRを兼ねて紹介します。

 三木鉄道について
 三木鉄道の歴史は私営鉄道であった播州鉄道によって大正5年11月22日に開業しました。開業当時は別所〜三木間で、別所駅と三木駅で始まりました。翌大正6年1月23日に三木〜厄神の全線が開業し、国包(くにかね)駅、石野駅、そして現在で言う加古川線の厄神駅とも連絡を開始しました。播州鉄道は事業が悪化したため、大正12年に播丹鉄道に事業を継承し、播州鉄道は姿を消すことになります。
 日露戦争後に主として軍事輸送を目的に制定された鉄道国有法により、昭和18年6月1日に国有化(三木線)され、播丹鉄道も姿を消すことになりました。なお、播丹鉄道は現在の加古川線と西脇市駅からの支線であった鍛冶屋線(平成2年廃止)、加古川駅から高砂港付近までを結んでいた高砂線(昭和59年廃止)を有していました。
 時は過ぎ、国有鉄道も徐々に赤字路線が増えたために負担が増加し、解消対策として全国各地の路線で廃線してバス転換か第3セクターの道を歩むかの選択を迫られるようになりました。ほとんどがローカル線で、赤字がもっともひどい第1次廃止対象路線とされた三木線は昭和60年3月31日をもって廃止し、翌日の4月1日から三木市を筆頭に、兵庫県、加古川市、神姫バスなどが出資した第3セクターの三木鉄道として再出発することになりました。また、4月1日に宗佐駅、下石野駅、西這田(にしほうだ)駅、高木駅も開業し、駅間最長1,7km(石野〜西這田)、平均約730mの区間の短さから地元住民の乗車チャンスを拡大しました。
 現在、厄神⇔国包⇔宗佐⇔下石野⇔石野⇔西這田⇔別所⇔高木⇔三木の9駅6.6kmで営業し、ダイヤは6〜22時までの間に日中1時間に1往復、平日21往復で運行しています。三木駅と厄神駅以外の7駅は無人駅であり、レールバスのワンマンカーとなっています。途中で行き違い設備はない全線単線です。全線を乗りとおしても13分、運賃250円と安価で気軽な乗り物となっています。しかし、沿線は買い物やレジャー設備がなく、利用者の大部分が沿線住民で三木市街へ出掛ける人たちのようです。また、神戸へ出掛ける手段としても、神戸電鉄や明石方面へでも神姫バスがあり、三木鉄道を利用する場合は、姫路や加古川など西部方面でない限り、運賃的にも損します。また、第3セクはJR線ではないため、会社線ごとに運賃が区切られ高額になります。例えば、国包駅の利用者が三木駅か加古川駅のどちらかにでかけようとすると、三木駅の場合は250円で済みますが、加古川駅に行く場合は、三木鉄道150円にJR線200円の合計350円と100円高くなってしまいます。また、厄神駅からの場合はどうしても安いJRや買い物などいろいろ便利な面で加古川駅に行くと思われます。このように、厄神駅からの利用者ではない限り、沿線利用者は三木駅に自然と足が向くことになります。
 厄神駅では同じ駅舎の同じホームで加古川線と接続できるダイヤになっていますが、第3セクター化と同時に悪しき改善としてJR線につながるはずのレールが10mほど分断され、三木鉄道の車両がJR線に乗り入れることは不可能となっています。なお、国鉄時代には三木〜加古川を直通の電車が走っていましたので、分断理由が不可解です。ちなみに新車を納入する際には、簡易レールを設置して加古川線経由でやってくるようです。
 三木鉄道は地元住民に愛される鉄道らしく、車内でJR駅の駅弁を食べるユニークな企画をしたりとさまざまなアイデアを投入しては盛り上がりもしています。沿線利用者の高齢化を考えてスロープを設けたりと小さな会社だからできる丁寧な配慮もあります。しかし、地元住民しか利用しないと考えているのか、三木市内から三木鉄道を利用したくても案内看板がなく、ちょっとわかりにくい場所にあるため使いづらくなっているので、この点を改善すべきだと思います。また、公式HPも未設置なので社会にPRする一番の手段を損しています。
 加古川駅から
 平成15年9月に高架事業が一部完成した加古川駅。今でこそ山陽本線と加古川線の2線しかないが、かつては高砂線と別府鉄道を合わせて4線の大規模な乗り換えターミナルであった。ここまで多かった理由は、当時は鉄道輸送が主であり、また、臨海部には多木化学、神戸製鋼など大規模な工場が林立していたからである。時代の流れは輸送手段としてはトラックに変わり、また、バスや自家用車で通勤する者も増え、次第に衰退していったために2線が廃線し、加古川駅も規模が縮小された。縮小はされたものの、阪神淡路大震災で寸断された山陽本線の代替移動手段として証明された加古川線の重要さはますます重みを増し、現在、高速化のための電化事業工事が平成17年度完成の予定で行われている。
 加古川線は、加古川(山陽本線)〜谷川(福知山線)の21駅48.5営業キロである。地方交通線であるため、運賃が若干高い。日中のダイヤは加古川〜厄神が1時間に2本。加古川〜西脇市が1時間に1本。西脇〜谷川が2時間に1本といった割合である。加古川〜谷川の直通は現在では1日に1本であるが、通しで乗車すると約1時間30分である。このようなダイヤ設定は、加古川〜厄神では住宅街が多く、かなりの乗車率があるが、厄神を過ぎると住宅も次第に減っていき、西脇市〜谷川では2時間に1本であるにもかかわらず、乗降客がほとんど居ないために、やむをえない設定となっている。ちなみに、厄神〜西脇市には、小野市と社市という比較的大きな町があるが、小野市の中心部は神戸電鉄、社市の中心部は神姫バスの2社が便利なため、中心部から離れたJR線は利用しにくいと考えられる。
いずれも厄神駅にて
 加古川線の車両塗装は基本的に上記写真左側の緑色である。編成も日中は1両がほとんどであり、朝夕ラッシュ時には右側のオレンジ色塗装を含む最大4両編成である。基本的にワンマンカーであるが、増結時には車掌も乗車する。ワンマンカーであるので、加古川線内では15駅が無人駅である。
 厄神駅にて
 厄神駅は平成11年3月に駅舎が橋上化に改築され、加古川線内でもかなり大きな駅舎である。加古川駅が改築されるまで唯一のエレベーターが設置されている駅であった。しかし、バリアフリー度はというと、エレベーターがホームにつながっているわけではないので、どちらかというとエレベーターは無意味である。その代わりに駅外からインターホン呼び出しによる、駅外の踏み切りからなど改札口を通らないでホームへの到達ができるのだが、なおさらエレベーターの意味がない。この駅には民間委託による駅員がいるが、業務時間は7時〜19時となっており、この時間以外は無人駅となる。なお、三木鉄道利用者は、全線にわたってきっぷは発売しておらず、車内で乗車時に整理券の受け取り、降車時に運賃箱に支払うという方法となっている。また、厄神駅に到着してそのまま改札を出る場合は、トラブルを防止するために乗車証明書を車内で発券しているので降車時に受け取り、それを駅員に提示することによって厄神駅改札口を出ることができる。
 厄神駅周辺の観光地は、加古川温泉、みとろフルーツパークなどがあるが、1つ前の神野駅を過ぎてからは田園地帯の中となっているので、移動手段としてはタクシーしかない。しかし、厄神駅前にはタクシーを使わなくとも歩いて楽しめるように散策マップがあり、その中にはさまざまな遺跡などが紹介されている。このように加古川市民にとっては気軽に立ち寄ってリフレッシュできる環境下にある。
 そんな厄神駅は三木鉄道との接続駅である。厄神駅は島式ホームと片側ホーム合わせて3線を有し、島式ホームの1線を三木鉄道に分担している。この路線には国鉄時代の三木線としても使われていたレールも利用しているが、第3セクター化の悪しき改善としてレールは分断され、三木鉄道の車両が入られないようになった。ちなみにこの分断レールの話題は、どのHPを見てもとりあげられていることが多い。
厄神駅外観
 分断レールの様子を3ヶ所から撮影。
 左および中央は車止めに向けて撮影。敷石とレールのつやの様子で整備しているかどうかはっきりとわかる。
 右は厄神駅2階の自由通路から撮影。10mほど分断していることがわかる。
 厄神駅に到着するやや少し前の踏み切りの様子。手前が三木鉄道に延びるレール、向こう側のレールが加古川線である。
 三木鉄道に延びるレールは雑草が伸び放題であった。つまり、その事はこのレールは利用されていないことを意味する。
 三木鉄道の旅
 三木鉄道はワンマンカーである。車両も最近納入したばかりで、車内は非常にきれいである。また、車椅子用の渡し板を設置し、車椅子利用者でも容易に乗り降りできるようになっている。ただし、各駅でスムーズに移動できるかというと残念ながらそうではなく、以後の改修工事に期待したい。
 厄神駅を出発するとすぐに加古川線から分かれる。加古川線側が大きくカーブして加古川を渡るためで、三木鉄道は終点の三木駅まで大きなカーブはない。出発してわずか1分後に国包駅に到着。その後も1分走って停車するなど分刻みの停車である。駅間平均が730mほどなので、停車している駅から、次の駅や前の駅が見える場合もある。厄神駅を発車の時点での乗客は10名程度であった。
 宗佐駅〜別所駅はほぼ田園地帯を走る。今日10月17日は稲刈りシーズンでもあるので、豊かに実った稲穂と所々咲いているコスモスのアンサンブルが美しい。
 三木市街に入る別所駅に到着すると多くの子どもたちが乗車してきた。三木鉄道に乗車するのは2度目であるが、こんなに乗客がいるのは驚いた。
 やがて三木駅に到着し車内で250円を支払い、13分のミニ旅行は終わった。あまりにも短いので居眠りするような余裕はないが、それほど混雑することはないのでストレスはたまらない快適な路線であった。
  三木駅の改札を出て乗客が多かった理由がわかったことだが、今日は大宮八幡宮の秋祭りのようである。だから普段よりも多いのだと思われる。前回三木鉄道を利用したときは三木→厄神ではわずか3人しか乗客がいなかった。ほとんどの乗客は全区間乗車している。
 日が暮れかかっているので時間がないが、せっかくだから秋祭りの様子を見に行くことにした。
 三木鉄道「三木駅」この駅舎は国鉄時代から変わっていないようである。
 かつてこの待合室には多くの旅人で活気があった時期もあったであろうが、そのような時代の移り変わりをこの駅舎はじっと見つめてきたのであろう。
 開業から20年近く経った今でも開業記念きっぷを発売している事は何を意味しているのであろうか?
三木鉄道の車両。
車庫に休ませているのを含めて3両あった。
三木駅構内にぽつんと置かれた謎の車両。
前後のレールは撤去されているので動くことはできない。
 三木鉄道運賃表
営業キロ数
厄神 1.0 1.5 2.0 2.6 4.3 5.3 6.0 6.6
国包 150 国包 0.5 1.0 1.6 3.3 4.3 5.0 5.6
宗佐 170 150 宗佐 0.5 1.1 2.8 3.8 4.5 5.1
下石野 170 170 150 下石野 0.6 2.3 3.3 4.0 4.6
石野 210 170 170 150 石野 1.7 2.7 3.4 4.0
西這田 250 210 210 210 170 西這田 1.0 1.7 2.3
別所 250 250 210 210 210 150 別所 0.7 1.3
高木 250 250 250 210 210 170 150 高木 0.6
三木 250 250 250 250 210 210 170 150 三木
運賃(こども半額)
 大宮八幡宮秋祭り
 偶然遭遇した秋祭りであるが、帰ってから調べてみた結果、三木市内でも大規模な秋祭りだとわかった。新聞によると平日であるにもかかわらず人出は2万人だったそうだ。
 人出が多いと言うことは市外からでもやってくる有名な祭りということであり、それが何かと思ったら大宮八幡宮に向かっているときにすぐにわかった。
 それは、屋台が50m以上くらいはあると思われる石段を駆け上っていた。屋台は小さいとは言えども立派なもので、そう簡単に駆け上れるものではない。2度、3度バランスを崩しつつ20分程度の時間をかけてやっと上りきった。上りきったら下で見ている見物客から拍手や歓声が出たのは言うまでもない。
 境内ではすでに上った屋台たちが、練り合わせ、差し上げと豪快に縦横無尽している。荒々しい男たちの力の見せ所か、駆け上ってから休むことなくすぐに合流して練り合わせを始める姿に勇ましさを感じた。
 ちなみに屋台の囃子は「祇園囃子」というそう。確かに本場の祇園囃子に似ているかもしれないが、本家の山鉾巡行は厳かな雰囲気を出す反面、こちらでは荒々しい祭りではある。しかし、秋祭りは農作業が終えた後の「ハレ」であるから、収穫の喜びを一杯に表現するという意味では賑やかなほうが神様もお喜びになるかもしれない。
 終わりに
 秀吉の三木城攻め、三木の金物、競走馬の休憩地にもなる三木ホースランドパーク、そして豊かな田園地帯。三木市内は観光地と田園地帯の恵まれた土地でありながら、国鉄三木線は全国でも真っ先に廃止されたのが不思議なくらいであった。やはり神戸電鉄と比べて遠回りになってしまう弱点を突かれたのであろう。しかし、三木鉄道は今なお加古川、姫路方面への移動手段としては市民にとっては重要な足となっている。イチ旅行ファンから見てもどこからか昔の暖かさを思い出させてくれるローカル線である。
 三木鉄道の将来は必ずしも明るいとはいえないが、沿線の埋もれた魅力を出しつつ全国でも名の通った鉄道会社であって欲しいものである。
 追記(07年9月27日)
 残念ながら08年3月末をもって三木鉄道は廃止することになってしましました。DMV構想もあって将来も続くかと思いましたが、やはり赤字からは脱出できなかったのでしょう。三木鉄道最後の秋を撮ってきました。
国包(くにかね)駅 国包駅舎 宗佐駅
下石野駅 夕日を浴びて(下石野駅) 石野駅
石野駅舎 西這田(にしほうだ)駅 別所駅
別所駅舎 線路はまっすぐに(別所駅前) 高木駅
稲穂の光景も今年が最後






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