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 寝台特急「なは」で行く三城巡りの旅(2005年6月7日〜9日)


 はじめに
 4月初めに高速クルーズ&初フライトの北海道旅を終えて2ヶ月。再び連休がやってきました。

 次の目的地は、飛行機を使って熊本あるいは東京を中心とした関東地方を予定していました。熊本は長年訪れていないこともあり、また、前回訪れた時は熊本城へ登城ができませんでしたから候補のひとつでしたし、東京へは飛行機から富士山を眺めてみたいという欲求と後学のために羽田空港の様子を見たいという欲求もあったわけですね。飛行機代はそれなりに高くなるのですが、何とかなるだろうとどちらに行くかを決めつつ、最終段階まで来たところ、デジカメが壊れるというトラブルが発生しました。デジカメがないと写真が撮れないわけではないのですが、色々と不便な面が出てきますので2万円を払って買い換えることにし、その結果、飛行機を利用するという案は吹っ飛んでしまいました。こうなると、東京へは「サンライズ出雲・瀬戸」あるいは「銀河」を利用する方法、熊本へは「なは」を利用する方法が浮かびました。しかし、「サンライズ出雲・瀬戸」を利用するのだったら始発駅から終着駅まで乗ってみたいというこう願望もありますので、そのためには一旦、出雲市まで行く必要がありますが、夜行バスで出雲市に向かい出雲大社で参拝した後、色んなところを巡るとしたらかなりの旅費もかかりますし、何よりものびのび座席を利用してフル区間乗車はきついと思いますから一人用個室B寝台を利用したいと思い始めて結局は予定額をはるかにオーバーする結果となり、熊本へ「なは」で向かう案に収まりました。

 連休ということですから観光日数は2日となります。熊本で2日も観光する必要はありませんから、観光しながら帰っていくという方法にしました。帰り道での観光したい場所を考えた結果、博多と広島が浮かび上がり、宿泊地としてはホテルの集まっていて安いところも多い博多ということで決まりました。

 寝台特急「なは」は前回は、高校卒業記念ということで奮発して1人用個室B寝台にしましたが、今回は座席での眠り心地はどうなのか気になっていましたので指定席(レガートシート)を利用することにし、5月27日に「なは」のきっぷを購入し、帰りは「有明」+「ひかりレールスター」×2回+「こだま」として6月4日に購入して準備は完了しました。

 寝台特急「なは」の異変
 始発駅からの乗車にこだわりたいということで、一旦新大阪駅に向かいます。寝台特急「なは」は新大阪駅に20:22に発車し、終着駅の熊本駅に7:10に到着ということになっています。18時過ぎに新大阪駅に到着すると、とりあえず夕食にロッテリアで済ませ、時間が余ると旅のお供に小説(「四日間の奇跡」)も購入しておきました。いつも本を持って行っても読まずじまいであることが多いんですけれどね。。。

 発車時刻が近づきましてホームへ降りました。待っている乗車客は意外と少なかったですね。まあ、新大阪駅よりも大阪駅のほうが規模が大きいですから、後からどっと乗り込んでくるだろうと思っていました。

 定刻に新大阪駅を発車しました。レガートシートの乗客は持ち物は白くて小さなヴィトンのポーチだけを抱えた、そのかわいらしさに似合わない30代〜40代の男性と僕の2人だけでした。えらい身軽で旅立つなあと思っていましたが・・・。大阪駅に到着しても誰も乗ってこず、そのまま、三ノ宮駅、姫路駅を過ぎても誰も乗ってこない反面、その男性は姫路駅で途中下車してしまいました。寝台特急とは言えども、特急ですから最低でも指定席特急料金を払えば姫路で降りようが三ノ宮で降りようが構わないんですけどね。姫路駅を発車してしばらくすると消灯になりました。この後、「なは」は岡山駅、倉敷駅、福山駅、尾道駅、三原駅と停車して行きましたが、結局、誰も乗ってこず、レガートシートには僕だけしか乗っていませんでした。。。

 「これはおかしいぞ!!」と思ったので、一夜を明かす最後の停車駅である三原駅を過ぎてから車内散策に出かけました。目的は乗車人数の確認ですね。「なは」は熊本方面から1号車から4号車までは開放型B寝台、5号車が1人用個室B寝台のソロ、6号車が指定席のレガ−トシート、7号車が2人用個室B寝台のデュエットとなり、8・9号車は開放型B寝台として連結される時もありますが、今日は連結されていませんでした。結果から言いますと、1〜4号車はあわせて16人でした。うち2車両は0人です。そしてソロは6人で21部屋も空いていました。レガートシートは前述の通り僕だけで、最後尾のデュエットは3室しか利用されていませんでした。ということで、「なは」で一夜を明かした人数というのはわずか29人ということですね。
 1998年3月20日。これが僕が前回に「なは」に乗車した日です。このときは、どれくらいの混み具合だったのかは散策していませんのでわかりませんが、ソロは全て埋まっていました。春休みに金曜日だということもあるかもしれませんが、このときは賑わっていたと思います。ですから、今日の少なさには驚きました。


寝台特急「なは」写真集
カラフルだけど色あせている方向幕 赤色が目立ちます このくらい傾きます。
ジュース・コーヒーは150円 ミニサロンもあります テレカ式公衆電話
ソロ車両の狭い通路 ソロの2階室 ソロの1階室
デュエットの通路 開放型2段寝台 デュエットの2階室

 22:40に「サンライズ瀬戸・出雲」と23:53に「富士・はやぶさ」とすれ違った後、特に変化がないまま、夜が更けて行きました。1:12に広島駅に運転停車し、明日は広島にいるんだなと思いつつ、まさか貸切状態になるとは思わなかったですが、誰もいないことをいいことに気兼ねなくフルリクライニングして眠ることにしました。

 次に目が覚めたのは関門トンネルを通過中でした。下関駅あたりでウトウトしていたと思いますが、はっきりと目が覚めたのはトンネルに入ってからですね。時間は5時くらいでしたが、この時点で30分遅れでした。睡眠時間は4時間ほどでしたが、座席にしてはよく眠れたと思います。

 30分遅れで博多駅に到着。本来ならば博多駅発の特急では一番列車のはずでしたが、遅れているために6:00発の「リレーつばめ31号」を先に行かせることになります。「なは」は熊本駅まで20分も足が遅いですから当然でしょうか。”特急”ですから、指定席特急券を購入すれば博多駅からもレガートシートに乗ることはできるんですが、「リレーつばめ」が先行したこともあってか、結局は誰も乗ってきませんでした。そして遅れは取り戻せないまま、7:38に熊本駅に到着しました。
 ちなみに降車人数は全員で10人(デュエットから4人)という少なさでした。閑散期とはいえ、こんなに少ないと寝台特急「なは」はいつまで続くのか不安になってきましたね。

深夜の広島駅 熊本駅の「なは」
 素晴らしすぎる熊本城の石垣
 回想ここから・・・
 高校卒業記念ひとり旅で熊本に訪れた時は、博多駅発の「ドリームつばめ」で西鹿児島駅に到着後、引き返して9時くらいに熊本駅に到着しました。その後、入浴したいのでとりあえず南熊本駅へ向かいました。なぜ、こんなところに行ったのかというと、当時のるるぶでは「湯らっくす」という名前が地図に載っていたのでいかにもお風呂屋っぽい名前だなあと思ったからですね。結局のところ、なぜか改札口を出てすぐに引き返してしまいました。そのまま熊本駅に引き返し、今度は熊本城の裏に「城の湯」というのを発見しましたのでそこに向かいました。熊本駅からほぼ歩いての移動だったので時間も大幅に使ってしまい、お風呂から上がったのはすでに昼近くになってしまっていました。
 熊本での観光予定地はもちろん熊本城メインです。ところが「城の湯」から熊本城への途中に熊本市立博物館がありました。博物館には必ず入っていく僕としては見過ごすわけにはいきませんから、見学見学・・・何を思ったか、プラネタリウムが併設していましたから鑑賞してしまいました。といっても、前日の「ドリームつばめ」で疲れが取れなかったのか、寝てしまいましたが笑。博物館を退館した時点で15時半ころ。まだまだ大丈夫だと思っていましたが、その途中で「旧細川刑部邸」というのがあり、気になったのでそのまま入館。係員さんとのマンツーマンで1つひとつ丁寧な説明を受けつつ巡ったあとに熊本城へ向かいましたが、この熊本城の入り口についた時点で16時半前となり、入場受付は終わってしまっていました。目標の熊本城を目の前にしながら泣く泣く後にしました。
 ・・・回想ここまで


 そういうことで、7年ぶりの熊本。夜行列車で到着した後はお風呂に入りたいものです。でも、まずは熊本城へ向かいます。今回も地図持たずの旅でしたから、7年前の記憶を頼りに「城の湯」へ向かうことになるのですが、熊本城の裏にあるのですから同じ道を歩くのは嫌なのでまずは熊本城に向かうことにしたわけです。朝食は駅の2階にある喫茶店で済ませ、朝のラッシュを終えた頃に路面電車に乗り込みました。熊本城前で降りて一番近い入り口である「はぜ方門」から入ることになります。そのちょっと前に坪井川沿いにある長塀にまず一目ぼれしましたね笑。そしてはぜ方門から歩いて天守閣への視界が開ける、その手前に立ち並ぶ石垣群も素晴らしかったです。
坪井川沿いの美しい長塀 行く手を拒む石垣群
 石垣群を直進していくと天守閣への近道になります。しかし、僕は直進しません。「須戸口門」そばにある櫓群を見なければなりませんからね。須戸口門そばにある「田子櫓」「七間櫓」「十四間櫓」「四間櫓」「源之進櫓」はいずれも重要文化財に指定されています。つまり、以前からの姿を残している櫓ということですね。階層がないので見た感じでは「櫓」というよりも石垣の上になっている「館」のような感じに見えました。その先にある「北十八間櫓」や「東十八櫓」も渡り櫓のように細長く伸びていました。僕にとって「櫓」という定義は、天主閣みたいにいくらか階層があると思っていましたが、こういうのも櫓と言うんだなと思いました。
 東竹の丸を経て、今年4月に木造にて復元公開されたばかりの飯田丸五階櫓へ。外観はかっこいいのですが、小さくて何となくバランス的には不釣合いな櫓という感じがしました。備前掘を前に、守りにとっては重要な櫓のひとつだったのでしょう。また、東竹の丸には「二様の石垣」という、傾斜の緩やかな石垣に継ぎ足されて急になった石垣がくっついている珍しい石垣があります。

重文の櫓群 復元された「飯田丸五階櫓」 珍しい「二様の石垣」
 入城してから40分。いよいよ天守閣に登ります。そばには本丸御殿大広間の復元工事が行われています。平成19年度には完成する予定だそうですので、またのお楽しみに?笑。
 熊本城天守閣は、大天主が地上6階地下1階、小天主が地上4階地下1階になっています。1877年の西南戦争によって原因不明の出火で天守閣は焼失され、昭和35年に再建されたものです。天守閣の再建=鉄筋コンクリート造りで内部は博物館ということになっています。全国どこでもそうなのですが、大阪城をはじめ、名古屋城、岡山城と名城は外観は立派でも中身に夢をつぶされますね。。。熊本城の中身は西南戦争についての展示物が豊富でした。それよりも目立ったのが低階層で「城主」の名前が掲示されていたことですね。平成19年に熊本城の築城400年にあわせて、飯田丸五階櫓や本丸御殿大広間をはじめ熊本城の主要な建物の復元事業が行われています。熊本市が先頭に立って行っているのですが、事業資金はかなりかかりますから、一口城主として1万円を寄付すると、寄付者の名前が熊本城の天守閣に掲示されるわけです。1万円以上寄付したら世に名前が残るというのは。。。と惹かれましたが、手持ち金がありませんから保留することにしました笑。もしも寄付したくなっても平成19年まで事業が行われていますから、急ぐ必要はありませんからね。懐が暖かくなってからまた考えることにします。
 天守閣にもっとも近い場所にあるのが地上5階地下1階の「宇土櫓」です。西南戦争での出火に巻き込まれなかったため、創建当時の雰囲気を残しています。当然ながら天守閣よりもこちらの方がオススメです。往時の熊本城はこのような櫓があちこちに林立していた難攻不落の要塞で、西南戦争では薩摩軍を50日以上足止めをして政府からの援軍を待ったそうです。我が国では最後の内戦で熊本城の強さを証明できたということでしょう。

再建された天守閣 焼失を免れた「宇土櫓」 定番のアングルで
 熊本城は大坂城、名古屋城と並ぶ日本三名城のひとつにあげられています。いずれも天守閣はコンクリート造りの再建物ですからどういう基準で三名城となったのかはわかりませんが、戦火などで天守閣を失う前はそれほど立派なお城だったのでしょう。現在の大坂城や名古屋城には名城たる証拠は微塵もかけらもありませんが、熊本城には素晴らしい石垣群に惚れました。ここまできれいに整っているのは珍しいと思います。石垣に興味がある方はぜひ熊本城へ訪れてみてください。

 熊本城を出たのは11時前です。かなり早いと思われると思いますが、13:10に熊本駅発博多駅行きの特急「有明」20号に乗車しますので、あと2時間で入浴などを済ませなければなりません。
 前述の通り地図持たずの旅。。。7年ぶりですから記憶もあまり残っていませんが、とりあえず大きな道路に向かいました。出てみると上熊本駅行きの路面電車が走っていました。「確か城の湯は大きな道路のそばにあったはず・・・」と、とりあえず上熊本駅方面へ歩いて行きました。歩いても歩いても見えてこない、不安になって入るのを断念しようかと思い始めたところ、近所の案内地図を発見しまして、ちょっと行き過ぎた小さな交差点を曲がっていれば城の湯にたどりついていたようです。これで安心して向かい、無事に「城の湯」に到着しました。ただし、入浴に残された時間は30分ほど。。。熊本駅まで戻るには1時間ほど時間が欲しいですからね。急いで体を洗って、湯船に浸かって(×5種類ほど)、上がって体を拭いて、髪の毛を乾かして、とあまりにもゆっくりできなさすぎた7年ぶりの「城の湯」でした。(「城の湯」リンク
 熊本駅まではまずは熊本市役所に向かいます。時間はないのですが、最上階から熊本城を一望できるとのことなので。。。結局は熊本城をぐるりと一周した形になりました。展望した時点で12時半前。。。急ぎましょう・・・
 市役所を出てすぐに路面電車がやってきましたので、ホッとしました。10分後に熊本駅前に到着。それにしても路面電車では幼稚園児が遊びつかれたのかこっくりこっくりとしすぎて座席から落ちたり、お金が消えて騒いだりと引率の先生とともににぎやかな車内でしたね。
 13:10発の4両編成と短い特急「有明」20号にて7年ぶりの熊本をあとにしました。
市役所からの眺望 路面電車 近代的な熊本駅
 活気の博多
 「有明」は14:36に博多駅に到着しました。まずはラーメンを食べに行きます笑。7年前から食べたかったラーメン屋さんでしたが、場所が分からずこれまた断念した思い出があります。そのラーメン屋さんとは「一蘭」です。「一蘭」は、ラーメンに集中できるように隣席とは仕切り板があり、また、目の前には暖簾が下ろされていて、どんなに汚い食べ方をしても誰にも見られることがないので恥ずかしがらずにラーメンを食べることができるという「味集中システム」(←特許をとっているそうです)が有名です。それだけではなくて1杯のラーメンに対して「味の濃さ(3段階)」「こってり度(5段階)」「にんにく(5段階)」「ねぎ(3種類)」「チャーシュー(あり・なし)」「秘伝のたれ(無制限?)」「麺のかたさ(5段階)」と2250通り(×たれの無制限)以上の注文方法があります。注文の仕方もオーダー用紙に各項に丸をつけて自販機で購入した券とともに渡すだけで、店員さんと直接会ったり言葉を交わすこともなく誰もが気楽に入れるというのが最大の売りだと思います。もちろん味は最高ですね。有名人のサインが多すぎたために写真にとって縮小したのを入り口にずらーっと並べているのが印象です。というわけで、「一蘭」は博多駅サンプラザ地下街店にて食べることができました。小倉駅前にも支店があるので、フェリーで小倉に来た際にまた寄ろうかなと思います。(「一蘭」リンク

何度でも食べたくなる味です。
 博多での観光は・・・決まっていなかったんですよね笑。とりあえず博多祇園山笠の神社である櫛田神社に向かいました。地図は持っていないので、「有明」の車内で入手した「福岡へ行こう」というフリーペーパーに載っていた簡単すぎる地図を見ながら向かいました。地図を見る限りは近いと思ったので歩いていくと・・・思ったより遠いですね笑。ちょっと迷いつつ櫛田神社に到着しました。
 境内は7月から始まる祇園山笠に備えて観覧席の設置工事中でした。テレビで見る限りはもうちょっと広いんかなあと思いましたが、実際はものすごく狭いです。こんな狭い境内に大きな山をかつぎながら全速力で走ってきて、ぐるりを周ってさっと出て行くのはきっと迫力があるだろうなと思いました。境内にはその飾り山を年中展示しているそうですが、準備が始まっていたために撤去されていました。ちょっと残念でしたね。神社にある歴史館も見物して櫛田神社を後にしました。
 
博多祇園山笠の櫛田神社 準備が進められていました

 櫛田神社の後は近くにある「キャナルシティ」に向かいました。神戸で言えばハーバーランドとかそういう場所でしょうね。駅からは離れているにもかかわらず、博多では一番賑わっているような気がしました。また、平日なのに大道芸のイベントも催していましたので日頃からたくさんの人がやってくるのだと思います。

 この後はどうしようかと思いましたが、一旦博多駅に戻りました。時間は17時を回ったところなので観光はもう終わりですね。で、何をしたのかというと、新幹線に乗り込みました。目的地は博多南駅です。つまり、運賃190円と特急料金100円の計290円で新幹線に乗れる博多南駅へ行きました。あんまり乗り込む人はいないだろうなと思っていましたが、乗車時間が近づくにつれて長蛇の列が。。。たった1駅とはいえ、みなさん毎日新幹線に乗り込んでいるんですね、、、
 17:34に博多駅を出発した”特急”は、新幹線並みの加速度とかなり前からのブレーキで10分後の17:44に終点の博多南駅に到着しました。
 博多南駅の前は新幹線が休憩する博多総合車両所になっています。恐らく新幹線マニアにとっては非常に行きたいところではないでしょうか。僕でも100系を除く東海道山陽新幹線車両編成全てとドクターイエローと2階建て車両、そして実験車両である500系900番台が停まっているのを見て興奮したものでした笑。
 さて、博多南駅の改札を出てみましたが何もないです汗。駅の周りには住宅がたくさんあるという印象くらいでした。だから、博多南駅が作られたんでしょうね。九州新幹線が完全開通しても残るとは思いますが、観光客であっても290円で新幹線を楽しめるというのは大きいと思います。その後、再び博多駅に戻りました。

ずらりと並んだ歴代新幹線 ”特急”乗車に必要なきっぷ
 
 博多駅に戻ったら次は福岡空港、、、だって地下鉄でたったの2駅と近いんですから笑。
 福岡空港の展望デッキに到着したのは18時半前。日が暮れかかってきている時間ですので、夕方のきれいな情景でした。でも、伊丹空港と比べると何かが違う。。。着陸してくる間隔が長いんですよね。やっぱり伊丹空港は過密すぎということでしょうか。小さいターミナルでしたが、後学としては良い経験になりました。
夕暮れの福岡空港 これが生涯初撮りです笑。
 再び博多駅に戻りまして時間は19時ですので夕食をと思ってウロウロしましたが、特にこれがいいなと思った食べ物がなかったので宿泊先である「博多パークホテル」へ向かうことにしました。

 6月8日。この日はサッカーワールドカップアジア地区最終予選の日本VS北朝鮮の日でした。しかも引き分け以上で本選出場がかかった試合です。なので、部屋に入るとすぐにテレビを点けました。ちょうど前半戦が終わったところで0−0でした。荷物を適当に放り出し、思いっきりくつろいだ格好に変身して後半戦が始まりました。なかなか点が入らずイライラしていたのですが、67分でやっと得点が入り、終了間際の89分にトドメの一撃が入って北朝鮮に勝利しました。もちろん缶ビールで祝杯をあげましたよ。ホテルでこんな歴史的な瞬間を迎えるとは幸運ですね。
 さて、博多パークホテルですが近くにコンビニがありますので夕食の買出しには不便はないと思います。しかし、このホテルの中でももっとも安いプラン(Aシングル、3900円)には冷蔵庫が設置されていません。また、この部屋はかなり広かったですし、コーヒーの無料券も付いてきました。ただし、利用できるのは喫茶店の営業時間のみなのでチェックインやチェックアウトの時間から利用できないこともあると思います。あとは少々古いことを我慢すればいいかと思います。
 ちょっと夜更かしして就寝しました。

広い部屋でした
 翌朝、広島へ向かうのは10:59ですから、パンでも買って大濠公園にて朝食をとろうかと思って向かいました。
 朝の大濠公園。初夏の快晴ですから朝からちょっと暑く感じられました。セブンイレブンでお気に入りのパンとコーヒーを購入し、池のそばにある椅子に座って食べました。すずめが近くに寄ってきましたのでパンの破片をあげつつしばし戯れていました笑。

 大濠公園の近くには福岡城があります。この池はその福岡城の堀だったわけですね。すずめと戯れすぎて時間がギリギリでしたが、走って福岡城に向かいました。
 福岡城はちょっと丘になっているようなところにあり、石垣などが残されていました。天主は建立されなかったそうですが、天主台の石垣の角度がきれいでした。その他にも色々と見所はあるようですが、時間がないので急ぎ足で博多駅に戻ります。それが出発20分ほど前でしたので、お土産を考える余裕すらありませんでした。。。

博多のオアシス大濠公園 エサくれ!! 福岡城天主台の石垣
 10:58発のひかりRailstar458号に乗って広島に向かいます。昼間の新幹線に乗るのは中学校の修学旅行以来ですが、昼間の車窓を楽しんでみるというのも目的のひとつでした。感想はというとありきたりすぎですが速いですね笑。ただ、トンネルが多いので山陽新幹線区間ではあまり楽しめないのではと思いました。次は東海道新幹線ですか、、、いつになるかな?
 12:09に広島駅に到着しました。

 苦悩の広島
 新幹線改札口から外に出ました。が、北側は繁華街方面ではないので、それほど居たいとは感じませんでした。なので南へ。。。と思ったら行き方がわかりません。。。自由通路が見当たらないんですよね。仕方がなくウロウロすると狭い自由通路を見つけました。何か広島駅らしくない自由通路のわかりにくさでしたね。

 南口へ出ると八丁堀方面へ歩いて向かいました。時間が時間なので昼食に広島焼を。何かこだわりでお店によってはうるさいと思い込みがありましたので、ぐるぐる回って入ったお店が「千房」でした。おなじみの大阪に本店があるチェーン店です笑。思いっきり間違っていると思いつつ、広島焼きを食べました。食べ終えるころに店員さんがそっと手鏡を置いて行きました。「何だ?」と思って、裏面に何かが書いてあるなと思ったら「歯に青のり付いてまっせ」っと関西弁で笑。

 お腹を膨らませると広島城に向かいました。前回に訪れた時はすでに閉城後だったので、とりあえず外観観光止まりだったんですよね。今日はまだ昼ですからたっぷりと時間があります。天気も良くてちょっと暑かったですね。

 広島城へは「表御門」から入ります。そして隣接して「平櫓」「多聞櫓」「太鼓櫓」と3つの櫓が復元されています。無料なので入ってみました。木造建築なので木の香りが漂い、往時の櫓を感じることができました。
 そして広島城天守閣へ。言うまでもなく原爆で破壊されての復興天主です。つまりコンクリート造りですね。そして内部は小さな博物館になっています。でもほとんどの人は軽く見ただけで上へ上へと登って行きました。そして5階には展望室となり、見晴らしの良いところになっていました。軽く休憩した後、下っていき、途中で外国人観光客とすれ違い、ふと「日本中の天主でコンクリ造りが普通だと思われたら嫌だなあ。。。」と思いました。姫路城のように全てが木造建築だと誤解はなく素晴らしい、という感想が出そうですが、「何だこの建物は?」と思われたらどうするんでしょう・・・
表御門とその櫓群 天主を遠景から
 そして広島の定番といえば原爆関係ですね。これは忘れてはいけません。広島市民球場前を通り向かったのですが、今日は試合日らしくファンがすでに選手が入ってくるのを待っているみたいでした。そして原爆ドームがある平和記念公園に到着。するとそこでは大勢の学生がいました。ほとんどは修学旅行だと思います。あっちで集会、こっちで集会と平和学習に熱心でした。おなじみの原爆ドームを間近で見ると鉄筋を入れて補強していました。戦後60年。その間に雨や雪に台風など自然によるダメージや劣化など、補強をしないと単独で建ち続けるには難しくなっているのではと思いました。

 原爆死没者慰霊碑前に行きまして改めて戦争はしませんと誓いました。が、振り向くとその慰霊碑をバックにピースサインして写真に収める人が何人か。。。何か違うだろうと思いつつ。。。

 そして平和記念資料館に入館しました。入館料は50円です。恐らくは外国人観光客も入りやすいように安く設定しているのではと思います。案の定、入館していく外国人がたくさんいました。そして館内にも多くの学生団体がいました。あまりにもの多さになかなか前に進めませんでしたね。
 展示内容は一言で言うと「リアル」です。原爆の恐ろしさを隠さずに真正面から訴えるという展示内容です。思わず目を背けたくなる展示物もありましたが、原爆というのは2度と使ってはならないということを思い知らされます。僕は展示物を一つ一つ丁寧に読んでいったので気が付くと2時間近く館内にいました。なお広島平和記念資料館のHPでも館内とほとんど同じくらい詳しく説明されています。
鉄筋に支えられる原爆ドーム 過ちは繰り返しません
 帰りの新幹線までまだまだ時間があるのですが、17時になりましたら行くところが限られていますので適当に歩き回ることにしました。
 郷土に関する本があるかなと思って広島市立中央図書館に向かいました。経路上では広島市民球場前を再び通過することになります。時間はプレイボール開始頃でしたので、球場前の賑わいは一層ありました。時間はまだまだあるので途中まででもいいから入ってみたいなと思いましたがお金が、、、笑。本当に行きやすいところにある球場だなと思いました。・・・と小学生の学校団体が手にお弁当を持って球場に入って行きました。修学旅行か何かにプロ野球観戦ツアーが入っているんでしょうか?羨ましいですね。。。さて、図書館ですが何か違うような、というか閉館時間が近かったのですぐに出ました。それでもまだまだ時間がありますので、えびす通りにある喫茶店で1時間以上暇をつぶした後、アストムラインの駅がどんななのかを調べたりして、やっと広島駅に移動しました。
 その後、20:10のひかりRailstar480号、20:51着の岡山駅で一旦途中下車し、21:17発のこだま680号にて西明石駅に22:06に到着しました。
 おわりに
 このページがやっと最後まで書き終わったのは半年以上もたった、06年3月中旬です。その間に寝台特急「なは」は05年9月末のダイヤ改正において京都〜南宮崎を結んでいた「彗星」に廃止に伴い、「なは」と京都〜長崎「あかつき」が始発駅を京都駅に延伸した上で併結運転することになりました。そしてレガートシートは廃止になり、レガートシート乗車が最初で最後になっただけでなく、情報としても役立たなくなりました・・・

 熊本城の石垣は、今まで全国各地いろんな石垣を見てきましたが、きれいに整われ、そして長い石垣というのは熊本城がいちばん美しく思いました。天守閣は再建ですが、隣にある宇土櫓は現存物であるので見比べられるお城というのも珍しいと思います。城内の良さと再建ながら江戸時代の建物を復旧させた建物は非常にすばらしく、僕の中では姫路城に次いで勉強できる城でした。

 福岡では時間があまりなかったために、祇園山笠の櫛田神社のみ訪れました、また、特急料金100円で乗車できる博多南線、そして福岡空港の様子を知ったというのは、短いながらも充実できたと思います。

 最後に広島は、「復興天主がコンクリート造りによる外国人観光客への誤解」と「平和施設での笑顔での写真撮影」の2つは以後、悩まされていくことになります。

 三城巡りの旅でしたが、どっちかというと時間が短く、慌しかったと思います。それは移動時間が昼間だったということもあります。その結果、現地に到着してもすでに昼は過ぎており、閉館時間が迫っていることもありました。夕方以降に時間があっても僕は旅先の繁華街で買い物をするようなタイプではありませんので、時間の使い方に非常に迷いました。今回は昼間移動での車窓を楽しむ実験だったということでそれは納得しています。確かに車窓の景色は良かったので不満もありません。ただ、そのためには三城巡りではなく二城巡りにするべきだったな、というのが今回の反省点でした。








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