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近江商人とヴォーリズの街を訪ねる旅(2005年2月4日)


 はじめに
 近畿のほとんどを見尽くしたと思っていたら滋賀県は意外と少ないと気づきました。そういうわけで、日帰り旅行では歴史街道のスタンプめぐりをこれからの重点に置く事にして、今回は近江八幡市に向かいました。
 歴史街道のテーマでは「水郷と近江商人のまち」ですが、水郷めぐりに乗船するほど懐が暖かくはありませんので今回は乗船しませんでした。そういうことで、今回の旅行記名は「近江商人とヴォーリズの街を訪ねる旅」としました。

 近江八幡駅から
 2日前は寒波が襲いましたので近江八幡一帯も雪だらけのはずでしたが、それからの2日間は寒さも緩んでいましたので、雪はあまり残っていませんでした。僕はどちらかというと雪景色を期待していたんですけどね・・・
 駅前から伸びる道路は「ブーメラン通り」と言うそうです。変な名前だなあと思っていたら、通りが途中でブーメランの角度みたいに曲がっているからだそうです。でも、ブーメランが曲がる位置というのはバランスを考えて半分の場所だと思うのですが、どう見ても3:1かそれ以上。。。
近江八幡駅 ブーメラン通りの残雪
 ブーメラン通りを歩いていくと八幡小学校に差し掛かり、そこで観光用の道しるべがありましたのでそれを手がかりに周囲を歩き回りました。
 名建築家として有名なヴォーリズが近江八幡で最初に建てた住宅が並んでいます。これらは現在も住宅として利用していますので非公開ですが、外観から見て大正時代に建築されたデザインが良いですね。
 写真左の白い建物は、近江兄弟社を興した吉田氏の住宅です。ヴォーリズと近江兄弟社の関係は後ほど説明します。
池田町洋館街
 歴史的には顕如上人が安土に寺域を与えられ、その後、近江八幡の基礎を作った豊臣秀次がこの地に移したそうです。近江八幡市内でも寺域が広いお寺だと思います。
本願寺八幡別院
 願成就寺石段前にあった道しるべです。この通りは京街道といい、別名は朝鮮人街道と言うそうです。江戸時代の朝鮮通信使が何度か街道を通っていたことから名づけられました。また、京街道にそって近江商人が盛んに行き来していたのでしょう。
願成就寺前の道しるべ
 湖東二十七名刹霊場第21番です。願い事は全てかなうようなありがたい寺名ですね。聖徳太子が建立し、かつては山内に五十五坊と寺領も1400石を構えるほど立派でしたが、織田信長の兵火によって勢いを失ったようです。
願成就寺
近江八幡の民俗資料のほか、八幡城の金箔がわずかについた瓦なども展示されています。
近江八幡市立資料館
 豪商の伴家の住宅ですが、明治時代になってから小学校→役場→女学校となり、戦後は近江兄弟社の有料図書館となり、さらに平成9年までは近江八幡市立図書館として利用されていました。平成16年4月から市立資料館の一部として開館されています。主な展示物としては着物の端切れを利用した細工袋など、少しでも使えるのであれば無駄なものを出さないというところを見ることができます。
 なお、近江八幡市の指定文化財となっています。
旧伴家住宅
 歴史民族資料館では帳場風景や当時の生活ぶりをそのまま再現しています。裏庭では昔の乳母車や海外製のバイクに消防ポンプなど今となっては貴重な資料が多数展示されています。
歴史民族資料館
 豪商西川家は昭和5年までおよそ300年間にわたって活躍した近江商人を代表するひとりです。茶室などを含めて部屋数は20もあり、豪商ぶりがうかがえます。しかし、豪商とは言えども派手さはほとんどないように感じられました。
 なお、重要文化財に指定されています。
旧西川家住宅
 資料館周辺は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、昔ながらの商家の雰囲気が残されています。
 一通り見物を終えた後、歴史街道のスタンプを押すために「白雲館」に向かうことにしました。途中に近江兄弟社があることを知りましたので寄り道することにしました。
 メンタームとメンソレータムの関係
 近江八幡市に本社を構える近江兄弟社とはリップクリームなどのメンタームで有名な会社です。驚くべきことに近江兄弟社を興したひとりにヴォーリズがかかわっていました。もともとヴォーリズは現在の八幡商業高校の英語教師として赴任するために来日しましたが、キリスト教の伝道師としての役割も背負っていました。やがて吉田悦蔵らとともに近江兄弟社の前身であるヴォーリズ合名会社を1910年に興しました。1920年には解散して近江セールズ株式会社を設立し、1944年には近江兄弟社に改称しました。

 誰もが疑問に思う近江兄弟社のメンタームと、ロート製薬のメンソレータムですが、1920年に販売を始めた時点でのアメリカのメンソレータム社からの輸入販売権があったのは近江兄弟社でした。ですから、当時はメンソレータムというのは近江兄弟社が名乗っていたわけです。ヴォーリズはメンソレータム社と知り合いだったことから、メンソレータムを日本にもたらしたのはヴォーリズによってということになります。また、トレードマークである「リトルナース」も近江兄弟社のものであったわけです。ところが、一度倒産してしまったために1974年に販売権は手放し、代わりにロート製薬が翌年の1975年に手に入れたために、「メンソレータム」も「リトルナース」もロート製薬のものになりました。さらにロート製薬は1988年にはメンソレータム社も買収してしまいましたのでメンソレータムは完全にロート製薬のものになりました。

 倒産した近江兄弟社は他社の資本参加もあって再び息を吹き返しますが、主力商品であったメンソレータムはすでにロート製薬のものとなっており、自分たちで生産していた設備などを利用して「メンターム」を生産販売を始めたとのことです。近江兄弟社にとってはメンソレータムについてはあまり触れたくないみたいで、HPの沿革でも本社の資料コーナーでもメンソレータムが出ていたのは輸入を始めた最初のたったの1語でした。
近江兄弟社本社 本社前のヴォーリズ像
資料コーナーで
ハンドクリームをいただきました。
あまりにも似ている
「メンターム」と「メンソレータム」
 ヴォーリズは1941年に日本国籍を取得後、1964年に84歳の生涯を終えるまで近江八幡市に滞在しました。その間、近江兄弟社での事業で得た資金から、近江兄弟社学園、結核療養所(現在のヴォーリズ記念病院)、図書館、出版事業を設立し、建築家としても名を馳せました。キリスト教の理念から、福祉、医療、教育などと近江八幡市のために活躍したヴォーリズは、1958年に近江八幡市の名誉市民第一号として認定され、また、国からも社会公共事業に対する功績から藍綬褒章(1951年)、建築業界における功績から黄綬褒章(1961年)、死後には正五位勲三等瑞宝章が贈られました。
 長命寺へ・・・
 近江兄弟社で意外なことをたくさん知ったあと、「八丁堀の七人」などテレビドラマの撮影地として有名な八幡堀を経由して白雲館に到着しました。白雲館は元は校舎、役場、銀行などと色々と変わっていますが、現在は観光案内所として主に利用されています。
八幡掘 白雲館
 観光の流れからすると次は八幡山の八幡城ですね。登るつもりはなかったんですけど、とりあえずロープウェー乗り場へ行ってみました。そこで判明したのは「1/17〜2/25まで運休します」とのこと。この時点で時間はまだ15時過ぎですのでこのまま帰ってももったいないと思い、登山してみることにしました。ところが登山口というのがどこなのかわからないまま図書館方面をぐるりと。それでもみつからないので歩き続けると気づけば駅方面とは裏に居ました。結局登山口は見つかりませんでしたので八幡山はあきらめることにしました。八幡山の裏は全て田んぼが広がっており、そこから駅に戻るにもバスがありませんし、何となくもったいないので長命寺に向かいます。ちなみに今回の旅行では歴史街道のガイドブックのみ持参して詳細地図は持っていませんでしたので、登山口があるかどうかなどはわからなかったわけです。従いまして、長命寺の方向や距離もほとんどわかりませんでした。後で調べてみると5kmほど歩いたとわかりましたが、田んぼだらけで何も変化がありませんから余計に疲れを感じました。ロープウェイ横から長命寺まで歩いて1時間と言うことです。

八幡山の裏は田園地帯
 やっとのところで長命寺に到着しました。到着したと言ってもふもとです。長命寺は山の上に建っており、ここから808段の階段が待ち受けているのでした・・・。5kmも歩いた後ではさすがにきついですね。。。いざ登ってみるとビルの階段で言う踊り場みたいな休憩できる場所というのがあまりなく、一気に登る形になっている個所が多くてすごく疲れます。登り始めて30分。やっとのことで境内に到着しました。時間は16時半になりました。長命寺の閉門時間は17時ですのでまたぎりぎりに到着したものですね笑。当然ながら参拝客は僕だけでした。

ふもとの入り口 一気に駆け上がります 808段の先にある入り口
 長命寺は西国33ヶ所めぐりの第31番であり、湖東二十七名刹の19番です。300歳以上生きたと言う武内宿彌がこの山を登ったといい、後に聖徳太子が武内宿彌を霊験としてこの地に建立したのが長命寺ということです。
 境内は、三重塔を構える立派なもので、本堂、鐘楼、護摩堂とともに重要文化財に指定されています。また、境内から見る琵琶湖はきれいなものでした。

今日一番の残雪があった境内 本堂と三重塔 境内から琵琶湖を望む
 下りは楽なのですが休みどころがないのでトントントンと下っていくと膝が痛いです。。。ふもとに到着したのは17時。もともと家もほとんどない静かな場所ですので寒さは一気に出てきます。幸いなことに長命寺から近江八幡駅までの近江鉄道のバスは21時まで日中は15分に1本程度で出ているので乗ることにし、そのまま帰っても早いですから長命寺港でしばしのんびりしました。琵琶湖はブラックバスなど外来魚に荒らされているのですが、「おいしいので持って帰りましょう」の看板がありました。ブラックバスって食べれてしかもおいしいって初めて聞きました。どこからそばにやってきて前脚をちょこんとそろえて座る猫を見つつ、日没を見届けた後、片道480円を払ってまでバスに乗って近江八幡駅に戻りました。近江八幡駅から長命寺までの距離は半端じゃありませんのでバスに乗ったほうが良いと経験者は語る。。。

クロネコヤマトの〜 長命寺港の日の入り
 終わりに
 近江八幡の印象としては八幡山を境に家がたくさんあるのと田んぼが広がっていることでしょうか。つまり、京街道の周辺は密集していて少し外れると田園風景ということですね。現在でも街づくりの中心には国道があり、脇にそれると田舎と言う感じが似ていると思います。もっとも、江戸時代の近江八幡は近江商人が盛んに行き来していた大都市のはずですから、人口が増えすぎず従来の街並みが所々見られるのはいいなと思いました。ヴォーリズも近代に入ってから急速に発展していく大都会よりも、昔ながらのたたずまいを残す雰囲気がお気に入りだったのかもしれません。

 近江商人のモットーは「質素倹約」「質実剛健」とのこと。つまり決して豪華さや過度の便利さは必ずしもプラスに働くことではないことを意味していると思います。偶然かもしれませんが、今回歩いてみてコンビニやスーパーと言うものはほとんど見かけませんでしたし、大規模店舗も駅前など3店舗と少ないです。都会生活に慣れた者にとってはコンビニが身近にないと不便に思うものですが、僕としては近江八幡では特に不便だとは思えないような気がしました。もしかしたら、現在にも近江商人の教えは言葉に出さなくとも静かに受け継がれているのかもしれませんね。

 一方、ヴォーリズについては2002年に豊郷小学校の校舎解体問題で初めて名前を知ったわけですが、日頃から利用しているリップクリームのメーカーである近江兄弟社を設立していたことに驚きました。旅行をすれば何かを得られると言う醍醐味を久しぶりに味わったような気がしました。

 近江八幡市は一般的な観光地と同じように、特定の地域に集中しているような感じがあってすぐに全部見れるだろうと思いますが、水郷めぐりを含めなくとも色んなジャンルに出会いますので1日かけて十分に観光できる場所だと思います。いつかはまた行きたくなる、そんな街だと思いました。








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