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 寝台特急「さくら」で行く長崎の旅(2004年12月16日〜17日)


 はじめに
 04年11月27日。そのニュースは突然やってきました。
 「寝台特急さくら・あさかぜ廃止」
 僕にとって「さくら」は、物心がついたときからの憧れの列車です。男ならば一度は乗ってみたい乗り物というものはあると思いますが僕はずっと「さくら」が憧れでした。親も「大きくなったら乗せてあげよう」と言いつつ今日に至ってしまい、そして突然のニュースに大変なショックを受けました。このままでは憧れの列車が幻の列車になりかねない。。。そう思った僕は急遽乗車することにしました。本当は東京から長崎までフル区間乗車したかったのですが、お金も時間も制約されていますから仕方がないですね。

 B寝台個室を手に入れろ!!
 現在の「さくら」にはB寝台のみが連結されています。以前までは開放型のA寝台も連結していて有名だったんですけどね。さてB寝台には開放型と個室の2種類があります。寝台料金はどちらも6300円。どっちかというと個室の方がいいですよね。。。でも個室はわずか18室しかなく激戦とも言っても良いと思います。次の勤務シフトは毎月10日〜15日までの間に発表されますので、指定席の発売日の1ヶ月前となるとちょっと厳しいんですよね。そういうことで、案の定、当初は1月中旬に旅行の予定でしたが、仕事の休みにあたる1月10日乗車を12日に申し込んでみたところ取れませんでした。だめもとで翌日、17日の京都駅乗車、つまり16日の夜に出発するということで13日に申し込んでみたところ、奇跡的に空席があるということで決まりました。帰り方は「ひかりRailstar(サルーンシート)」+「白いかもめ」にしまして、新幹線の特急料金が相生駅から新大阪駅まで同一ということならば岡山駅から西明石駅まで「こだま(2×2シート)」を利用すると決めました。

 「さくら」へ乗車の前に・・・
 16日の夜に長崎とは逆方面の京都に向かうことになります。「さくら」は0:37発車ということで明石には21時に出発しても間に合う時間ですのでのんびりできます。そういうことで、仕事が終わってから一眠りと夕食etc。。。23時半過ぎに京都駅に到着しました。一旦改札口を出たのですが、さすが終電間近の京都駅。ちょっと寂しいと思えば、明石のほうがもっと寂しいので羨ましかったりします笑。発車前に0番ホームに「きたぐに」と「出雲」がやってきましたのでとりあえずパチリ。


 デジカメの性能の都合上、テールマークのみで笑。「きたぐに」も「出雲」もいつ廃止されてもおかしくはありませんから油断は出来ないと思います。実際に「出雲」のB寝台はほとんどガラガラですし、最新鋭の「サンライズ出雲」もありますから危機感はあります。
 時間が来ましたので6番ホームへ。誰かいるかなと思ったら誰もおらず、結局、京都駅から乗車したのは僕だけでした。。。一応、西方面への終電ということなので、京都駅の1日の利用者の中で西へ向かう最後の最後の列車に乗ったというので誇らしく思えますね笑。

照明は消えて誰もいない待合室 「通過」に挟まれて・・・
 「さくら」写真集
 指定された個室は8号車の7番です。つまり下段ですが、長崎行きの場合は進行方向に沿って座る形になりますので、上段は高所からの見晴らし、下段は進行方向へ見やすいということですのでどちらでも良いと思います。逆に東京行きだとやっぱり上段が良いと思います。
 とりあえず写真集から入ります。
8号車の中身
オハネ15-2002だそうです ソロのみ自動ドアです ドアが並んだ通路
ドアから撮影 ドアに向かって撮影 鏡やスリッパゴミ箱など
寝るときは肘掛を上げます 目覚ましや照明、冷暖房の調整装置 上段はこんな感じ
歴史を感じる洗面台 給水機もあります。
他の車両へ行ってみましょう
開放型寝台 シートが別色もありました。 「はやぶさ」との連結部
「はやぶさ」へお邪魔します
深夜のロビーカー ジュースは130円です 電話機もありました
 こんなところです。個室利用だとプライバシーが守られますし、翌朝7時前に座席にするために起こされる心配もありませんのでゆっくり寝られるのがいいですね。もっとも、開放型のほうが昔らしく旅情を味わえるという方もいると思いますし、ソロは1人用ですから2人以上で旅行をする場合にはちょっと寂しいと思います。
 寝台特急「さくら」の旅
 寝台特急「さくら」は客車です。客車は全車両が動く電車とは違って先頭の機関車が動力源で引っ張っていく形となりますので、発車時の軽い衝撃が独特の味を出します。この衝撃が嫌だという人もいるでしょう。0:37の定刻に、スーと前へ進んだかと思うとガクンっと衝撃が出ました。久しぶりの衝撃でしたね。
 発車して高槻を通過するまでの間に個室のチェックと撮影を終えました。しばらく座ってのんびりしていると1:06に大阪駅に到着しました。乗車客はやはり1人でした。西日本一の乗降人数を誇る大阪駅でもこんなに少ないんですね。。。終電も大阪駅に到着する西明石駅発はありますが、当然ながら乗る人はいませんので誰もいませんでした。こういう誰もいない大阪駅を見たのは初めてですね。やがて大阪駅を発車し、尼崎駅を通過した頃に「はやぶさ」にあるロビーカーへ忍び込みました。

 1時半頃のロビーカーは誰もいませんでした。まあ、京都駅と大阪駅で乗車したのはたったの2人ですし、その前の停車駅は岐阜駅で満喫した上でもう寝に入っている人が大半でしょう。深夜ブルトレの裏の魅力は普段は停車する駅を次々と通過していくことですね。関西圏では新快速がウリなのですが、その新快速が停車する駅を通過する時間をチェックしました笑。明石市を優遇したいということで、明石市内のみは全駅を・・・笑。

高槻・・・0:51←東京行きの「サンライズ」も同時に通過しました。
新大阪・・・1:01
尼崎・・・1:16
芦屋・・・1:23
三ノ宮・・・1:31
神戸・・・1:33
朝霧・・・1:46
明石・・・1:48
西明石・・・1:51
大久保・・・1:53
魚住・・・1:55
土山・・・1:57
(2:01に上り「富士」とすれ違いました)
加古川・・・2:02
姫路・・・2:13

 こんなところで、西明石駅までは各駅のホームで照明がついていました。西明石駅をすぎると真っ暗になっており、闇夜に包まれた感じがします。ところで、新快速や特急といえば複々線の一番端(外側線)を走りますよね。ところが、「さくら」は内側線を走っていました。つまり、各駅停車と同じ線路だったわけですね。今まで思い込んでいた常識を覆された感じがして驚きました。そういうことで新大阪駅を通過してもどうも思わなかったのに、須磨駅を通過していくのが非常に面白かったりします。姫路駅をすぎるとちょっと駅がわかりませんので開放型B寝台の撮影をしたあと、自室にこもって就寝をすることにしました。しかし、眠れません。。。揺れが問題じゃないとは思うんですけど、やっぱり夕方に寝すぎたんでしょうか笑。ああだこうだ寝返りしている間に

岡山・・・3:14

となってしまいました笑。岡山駅はホームに照明が点いており、列車案内板を見てみるとはや始発の案内をしていました。始発とはいっても後続ブルトレの下関行き「あさかぜ」4:17発ですからどこから始発と言えるかどうかわかりませんが・・・。でも4:17に岡山駅に来る人はいるんでしょうかね。そういえば「あさかぜ」も2月末でなくなりますからどうしましょう。。。
 その後は、倉敷駅を通過したのを最後にやっと眠れました。
 次に目が覚めたのは防府駅を過ぎた頃です。広島駅前に起きようと思っていたのですが、さすがに気づかなかったですね。浴衣姿でカーテンを閉めたまま、時にはちらりと覗き込んだりと笑。関門トンネルを通ったら、座席に戻して長崎までラストスパート。。。。と、鳥栖駅で「はやぶさ」が切り離され、機関車の交代で15分の小休止となり撮影のチャンス!!と思ったら、カメラマンもぞろぞろと、、、やはり今の「さくら」に乗るのは趣味の人が多いのでしょうね。

朝の「はやぶさ」ロビーカー
「西鹿児島」もまだある? 鳥栖駅で発車時間が異なります 「長崎」と「東京」に「佐世保」のみ?
最後尾じゃなくて最前列 これでもテールマークですよね ヘッドマークは掲げず涙。
 10:37に5両編成になった「さくら」は再び動き出しました。ブルートレインは編成数が長いとかっこいいのですが、短くなるとちょっと侘しいものですね。10:49すぎに吉野ヶ里を通過し、何度か後続特急に線路を譲るために駅で停まったりしながら13:05に長崎駅へ到着しました。
 京都駅から12時間30分の旅路でしたが、長いとは思わずに最後まで楽しめたと思います。ただし、乗客は個室は満室だとして、開放型は10人ほどしか乗っておらず、朝からのヒルネ利用者(立ち席特急券での利用者)も5人ほどでしたので経営的には厳しかったのではと思います。
 長い間の憧れだった「さくら」。フル区間乗車はできませんでしたが、「さくら」という名列車に乗車できたことが満足です。いつかは「さくら」を名乗る電車が出てくる可能性はあるとは思いますが、やっぱり「さくら」はブルートレインであってこそ「さくら」にふさわしいと思いますので名乗らないで欲しいと思います。

吉野ヶ里を通過 長崎駅にて「かもめ」と
 長崎をフラフラ〜
 改札口を出ますと長崎駅がきれいになっていました。前に長崎駅に訪れたのが平成10年3月27日ですから6年ぶりですね。今回の長崎旅は、都道府県庁所在地駅を目指す日本一周をもう一度始めるという意味もありまして、観光をする場合も未訪問地を中心に主要な観光名所はなるべく減らすという形になります。そういうことで今回の目的は「眼鏡橋」に「出島」を目指し、主要な観光名所として「大浦天主堂」ということにしました。そして長崎中華街にて名物のちゃんぽんも食べました。

これが有名な眼鏡橋ですが・・・
「眼鏡橋」

 長崎の橋といえば「眼鏡橋」ですね。僕も最初は眼鏡橋だけがかっこいいんだと思っていました。ところが、眼鏡橋以外にもその川に架かっている橋は立派でした。デジカメのメモリ容量が少なくて撮影できなかったのが残念ですが、「魚市橋」「東新橋」などがあります。長崎は「レトロ橋の街」でもあるなあと思いました。

長崎中華街の異様な雰囲気・・・
「長崎新地中華街」

 横浜、神戸に並ぶ3大中華街のひとつ長崎。前2つの中華街で僕の印象では・・・
神戸・・・値段も安いので食べ歩きをしやすく、三ノ宮の繁華街に近いので活気がある。
横浜・・・中華街の規模が大きいがちょっと値段が高め。
 でしたね。さて長崎はどうかと期待して行ったのですが。。。
長崎・・・食べ歩きがなくて立派な飲食店しかなく入りづらい。。。
 でした。ようするに名物のちゃんぽんを食べたくて中華街に行ったのですが、構えが立派な本格店しかなくて、どうもひとりで入店してちゃんぽんだけを頼みづらい雰囲気です。写真の門を挟む2つの建物がありますがこれが長崎の中華料理店です。14時前とお昼時を過ぎたとは言えども、観光客はあまり歩いていませんでした。僕はさんざんに迷った挙句、中華街にあるぽつんと小さなお店に入りました。味云々は置いておいて、長崎中華街で食べたことに満足です。

長年の疑問「出島はどこに行った?」
「出島史料館本館」

「ミニチュア出島」

 長崎の出島といえば江戸時代の鎖国をしていたときに唯一外国と接することができた場所です。一般庶民はもちろんのこと、オランダ人の女性でさえ上陸は許されなかったそうです。それはオランダ商館長の奥さんであっても同様で、ずっと船の上で暮らさなければならなかったとのこと。鎖国はオランダ人にとっても色んな苦労があったそうですね。
 さて、僕にとっての長年の謎は「出島は消えた?」ですね。あんなに有名な人工島だったのに歴史の授業では「長崎の出島で海外文化に触れることが出来た。以上!」でしか学ばなかったですよね。だからその後はどうなったのか気になっていました。答えは、「ココが出島である」ということでした。なるほど、地図をよく見るとこの周囲は扇形になっていますね。周囲の海は埋め立てれていますが、現在は主に建物の復元工事が行われ、長期的には周囲に海を取り戻す計画を立てているそうです。今では出島は町のど真ん中にありますから海を取り戻すのは不可能ですので水路くらいかもしれませんね。

オランダ坂の先にあるもの
「オランダ坂」

 坂の街を象徴する有名な坂のひとつですね。この先は何があるんでしょうか・・・。答えは何もありません。というよりも、活水女子大への道を兼ねていますので、「え?間違えた?どうしよう。。。」と慌てて引き返しましたので真偽は不明なんですよね。とりあえずこの坂は写真の曲がり角を曲がってすぐに終わります。

ある意味良すぎの代表
「大浦天主堂」

 最後は大浦天主堂に行きました。この建物は国宝建築物で、原爆の被害を受けた浦上天主堂と並ぶ長崎で有名な教会です。豊臣秀吉の禁教令によって殉教となった26聖人の霊に捧げるために1864年に建立されました。
 ところでこの写真は入り口から撮っています。つまり、お金を払わなくても絶好の撮影ポイントということですね。案の定、多くの人が入らずにパチリと撮っては去って行きました。キリスト教の荘厳な雰囲気は入らないとわからないのですが・・・

 大浦天主堂を出たのが列車出発の1時間前です。いくらなんでも時間が足りないので焦りましたね。お土産をゆっくり選ぶ暇もなくカステラを購入して長崎駅へ向かいました。夕方ラッシュも重なり、路面電車は激混みでした。やっとのところで長崎駅前に到着したのに全然降りなかったのが驚きでしたね。ちなみに発車の15分前でした。。。

 グリーン車級の豪華列車にて帰途
 帰りは西明石駅までグリーン車級の座席です。旅行は帰り方も楽しみましょう。
 まずは「(白い)かもめ」です。革張りの座席ってすごいですね。「スーパー宗谷」のグリーン席みたいです。床は板張りで、照明も柔らかな感じもしました。僕にとってJR各社の印象は・・・

JR西日本・・・スピード重視
JR東海・・・車両カラーの共通化
JR東日本・・・ハイテク化・近代化
JR北海道・JR四国・・・全線にわたってローカル色が濃い

 で、JR九州は「豪華」のひとことに尽きますね。かもめ36号は17:30に長崎駅を発車し、19:20に博多駅に到着しました。佐賀駅よりも鳥栖駅の方が駅で待っている乗客が多かったのはなぜでしょう・・・

新幹線みたいな白いかもめ いくらなんでも豪華すぎ!!
 乗り継いで「ひかりRailstar382号」は19:35発車です。つまり15分しか時間はありません。7年ぶりの博多駅を見ることなくさっさと後にしました笑。
 「ひかりRailstar」にはグリーン席がありません。その代わりに指定席で「サルーンシート」というグレートが高い座席に座ることができます。自由席だと普通の座席ですからちょっとの追加料金で豪華座席になるということですね。「ひかりRailstar」は700系車両ということで新しく制覇しました。東海道山陽新幹線では残るは500系「のぞみ」のみです。自由席で「ひかり」と同じ料金ですから近いうちに岡山駅〜広島駅で乗るかもしれません。一応、新幹線での夢は「500系のぞみのグリーン席に座る」です笑。

700系に専用のロゴ付き 実質的グリーン席
 「ひかりRailstar」は岡山駅で降りました(21:27着)。新幹線で西明石駅まで行きますから乗り換えるために姫路駅で降りてもよかったのですが、すぐに着いては面白くないですからちょっと長めに乗りたくて岡山駅で降りました。そういうことで「こだま682号」(21:50発)で23分の接続待ちです。とりあえずコンコースに下りて、牡蠣のしぐれ煮を購入して乗り込みました。
 最後の「こだま」は100系の2×2シートです。座席をリニューアルした100系ですが、やっぱり100系というと「グランドひかり」を思い出しまして6両編成はやっぱり似合わないですね。2×2シートは古いグリーン席を転用していたはずですのでゆったりとくつろげます。でも、車内販売は自動販売機さえありませんので、新大阪〜博多のフル区間乗車は厳しいかもしれません。とはいっても、「のぞみ」や「ひかり」に線路を譲るために何度か停車しますので、ホームで駅弁や飲み物を購入できますから要らないかもしれませんね。

「こだま 東京」を見てみたいですね 古いけどゆったりできます
 新幹線は明石市内に入り魚住駅付近を通過したところでまもなく到着のアナウンスが流れました。さすが新幹線だなあと思いつつ、22:34に西明石駅に到着しました。
 長崎駅を出てからわずか5時間。行きの12時間半と比べて半分にもなりませんでした。夜間の走行のため車窓の眺めは何もありませんでしたから、新幹線で楽しめたとはちょっと言い難かったと思います。観光は昼間、移動は夜間というのが僕の旅行の前提となっていることが多いため、スピードを重視する新幹線ではどうしても夜間の利用になることが多く、昼間に走ったことは修学旅行か新倉敷→広島のみです。新幹線に対しては色々な考えがあると思いますが、昼間乗車を経験しないと批判することができないような気もします。。。








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