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淡路ジェノバラインの沿革 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平成13年11月までこの航路は『西淡路ライン』という会社が運航していた。しかし、明石海峡大橋の影響などによる利用者の減少により撤退した。それほど需要がないのかというと、そうではなく淡路島の西岸地域に暮らす人々はこの航路で通勤・通学、また買い物や通院にも利用する貴重な航路であった。当然ながら廃止になると非常に不便である。廃止後、それまで西淡路ラインを利用していた人々のほとんどは、淡路交通のバスを利用して一旦岩屋まで行き、そこから明淡高速船を利用して明石に向かうしか方法がなくなった。所要時間が増えたことと、乗り換えが大変なこともあるが、一番の影響は交通費の負担増である。バスで富島から岩屋までは620円である。これに高速船が当時410円であったので合計1030円となり、直通の600円よりも430円も負担増となってしまったのである。 一刻も早く航路再開を望んでいたところ、女性用下着メーカーであるジェノバの社長が好きな島のために、と子会社を設立して航路再開することになった。既存の施設の再利用と船舶の小型化、旧西淡路ライン社員の再雇用などコスト減をしたうえ、こうして平成14年4月8日に再び富島〜明石航路が再開したわけである。 当初の就航船は「ジェノバ1号」であったが、小型高速船ゆえに悪天候に弱く、明淡高速船が出航できる状況でも欠航となる日も多いのが難点であった。そのため平成15年6月17日に新造船の「ジェノバT」が就航し、欠航率はある程度下がったようである。 平成19年1月1日より撤退を表明した明淡高速船の明石〜岩屋航路を引き継いだ。欠航日を1日も設けず乗客は普段通りのダイヤで乗船することができ、乗船料は明淡高速船時代から100円下げた400円にて新たに出発となった。なお400円という価格は高速舞子〜岩屋ポートの高速バス運賃と同額である。就航船は明淡高速船から購入した「まりーんふらわあ2」と「レットスター2」の2隻である。 明淡高速船の航路を引き継いだ後も乗り場は離れていたが、4月1日より旧明淡高速船のターミナルに桟橋とともに統一された。2つの航路の券売機も同じ建物内に置かれているが、その際に行き先を誤って購入しないように券売機は離れて置かれている。 7月22日から旧明淡高速船にて好評だった「明石海峡クルーズ」を実施することになっている。06年度は神戸空港沖を付近を往復するコースだけであったが、07年度は4コースとなった。土曜日は10時半発の「チャータークルーズ」、18時半発の神戸港内を巡る「ナイトクルーズ」、日祝日は10時40分発の「夢舞台コース」、14時半発は06年度と同じ「神戸空港コース」である。当該クルーズ運航時間帯は「まりーんふらわあ2」を利用するため、神戸関空ベイシャトルの予備船でもある「しゃるまん」が代替船として運航されるようになった。なお「しゃるまん」は平成20年4月7日〜21日の「まりーんふらわあ2」のドッグ入りの際に代替船として再びやってきた。 9月25日〜28日は富島航路の「ジェノバT」が修繕に入ったが、代替船の運航はなく終日全便欠航となった。 10月1日より富島航路は原油高騰のために大人600円から700円、小人が300円から350円へ値上がりとなり、さらに同様の理由で12月1日より1日11往復から8往復へ大幅に減便された。 そして平成20年。原油高騰によるものだと思われる“諸般の事情”により富島航路は5月18日の運行をもって休止となった。富島航路は開業時は1日約350人の乗客がいたが、休止直前は約120人まで激減していた。休止後は淡路交通のバスにて岩屋航路経由ということになるが、連絡乗車券を新規発売開始となりバスと岩屋航路の運賃を合わせると大人900円、小人400円、障害者400円となる。旧西淡路ラインの廃止時よりは安くなったとは言えども、岩屋港での接続時間が余裕をもってとられているため所要時間は以前と同じように増えることになった。 8月1日よりやはり燃油価格高騰のために開業以来据え置きだった岩屋航路も値上げに踏み切った。値上げ額は大人片道運賃で50円で400円から450円となったが、それでも明淡高速船時代よりも50円安い。 平成21年4月1日に明石淡路フェリーが深夜便廃止によって不便になった移動を補うかのように、22時と23時にそれぞれ1本ずつ(計2往復)増便するダイヤ改正を実施した。 富島港側では、足を踏み入れると同時に漁村の町である。漁の準備をしている者がいれば、椅子に腰をかけて談笑をしているお年寄りもおり、お菓子屋に群がる子どもたちもいる。老若男女の温かな心が感じられる土地柄である。 主な観光地としては、阪神淡路大震災の際に、テレビで幾度と放映された野島断層記念館などがある |
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明石〜岩屋航路 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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津名港の2隻は大阪淡路ラインに就航していましたが、02年12月27日より休航となってしまいました。 津名港の2隻は04年の夏、明石港の2隻は04年秋にそれぞれの港を離れたようです。 ぜんまんさんの情報により「富貴3」は長崎やまさ海運の「マルベージャ3」となり軍艦島クルーズに就航しているとのことです。 |
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